運がいい

寒い季節なので火事が多い。今日もニュースで、「○で火災があり、性別不明の遺体が見つかりました。尚、この家に住む60代の男性と連絡が取れておらず、警察では遺体はこの男性ではないかと調べています。」

ミルクボーイの漫才ではないが「その男やないかい!」と一人で突っ込む。60代のジジイか、そりゃ仕方ないわ。と、ここでふと我に返る。自分も60代の男性ではないか!

 

 

V-CATテストというのがある。

https://www.jmam.co.jp/hrm/course/assess/item_v-cat.html

 

何を隠そう私も20年前このテストを受けた。結果は手元にあり、今それを見ながら書いている。テストの詳しい内容は省くがその人の特性、活力を測定するもので全部で12の項目に分かれて採点されている。私は、と言うと殆どが標準の範囲だが感受性と創造性の2項目が上位20%と高い位置に入っているのが目を引く。

 

前にも書いたが私の手相は「かなりいい」。

 

神秘十字線、仏眼というどちらかひとつ、片手だけでも充分に幸運な吉相がふたつとも、しかも両手にくっきりと出ている。しかもこの相は両方とも直感、霊感に優れ、先祖から守られている表れという。上のV-CATの特性とばっちり合致する。「占いなんか。」全く信じないのもその人の勝手だが私のような例もあるのだ。

 

一昨日1月9日の夕方、携帯が鳴った。休日のこんな時間に誰だろう、どうせ投資か太陽光だろうと画面を見ると「非通知設定」と出ている。放っておこうとも考えたが、投資話なら「いやあ金なら腐る程あります。」とからかってやろうと5回ほどのコールで出た。

 

予想に反して若い女性の声。スケベ親父の胸がときめく。「こちらBS○の視聴者プレゼント事務局です。いつもBS○をご愛顧賜り有り難うございます。」その後、番組名とその視聴者プレゼントに当選した旨告げられ住所名前を伝えた。いや~、出て良かった!

 

その番組なら確かに見た。ただプレゼントに応募したことはすっかり忘れていた。指定の番号に掛けるだけのよくあるやつだ。忘れるのも無理はない。肝心のプレゼントだが確か「一万円相当の海産物の詰め合わせ」と聞いたのだが確信が持てない。突然の報せに舞い上がっていたのだ。その後必死で検索したがそれらしきページが見つからない、クオカード1枚だったらどうしよう。いや、それでも充分幸運なのだが。

 

電話を切って妻にそのことを話すと「あんたホンマによう当たるなあ。」

確かに今までも抽選ものはよく当たってきた。ペア沖縄旅行や日韓ワールドカップの入場券が当たったこともある。これも上記、手相による運の良さと関係があるだろう。

 

その前日1月8日は年2回の恒例のメンツでの飲み会。趣味も仕事も全然異なる4人なのに居酒屋2時間、カラオケ2時間、計4時間があっという間に過ぎ去ってしまう。こんなに楽しいのなら毎月でもいいではないか。いや、年2回だからいいのだ。半年ぶりに会うから新しい話題もあるし、前に話した話題も丁度いい具合に忘れている(笑)。

 

きっと私は友人運も強いのだ。間違いなくそう思う。

 

 

 

日本人の感覚とは違う

テレビ和歌山の新年特別番組に宮崎緑さんが出ていた。宮崎緑と言っても知らない人が多いかも知れないが40年ほど前NHKニュースでキャスターを勤めていた、女性キャスターのはしりとも言うべき人物で美人で聡明、「息子の嫁にしたい女性ナンバーワン」として政治家や企業トップからの人気が高かった。私が特に印象に残っているのは上記番組で中国残留日本人孤児を取り上げた時だ。

 

「日本のお父さん、お母さん会いたいです。」切々と訴える何人かのビデオが流れた後、スタジオにカメラが戻ると宮崎さんが泣きじゃくって話が出来ない。確かその時は男性キャスターが引き取ってその場を収めたと思うが宮崎さんの人気は却って倍増した。美人で頭が良いだけでなく、性格もこんなに優しいのか!と。

 

それから何年後だろうか、偶々乗り合わせた飛行機の機内誌に宮崎緑さんのインタビューが掲載されていた。

「見なけりゃ良かった。」

その時の正直な感想だ。NHK後の彼女のことは全く知らなかったがインタビューの時は離婚後間もなくの頃だったらしい。その記事の中で彼女の口からこれでもかというほど離婚した相手のことが悪し様に語られていた。一方だけに原因がある離婚なんて滅多に無い筈だし、万一そうだとしても、既に済んだ話ではなないか。記憶の片隅に残っていた彼女への好印象が音を立てて崩れていった。

 

ヘンリー英王子回顧録の波紋広がる。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGV0701L0X00C23A1000000/

 

日本人の、少なくとも皇族の感覚からは考えられないことだ。有り得ない話だが、もし眞子さまが何とか小室さんとの結婚を止めさせようとどんな圧力が受けたか、赤裸々に語ってみろ、どんな騒ぎになることか。

 

そういう意味で宮崎緑さんは日本人離れした感覚の持ち主と言えるかも知れないが、彼女の経歴を見ると過去何回か皇室に関する有識者会議のメンバーに選ばれている。

 

おいおい、大丈夫か。

 

 

ニューイヤーコンサート2

一昨日まで息子が帰省していた。一週間ほど滞在していたが家に居たのは大晦日と元旦の2日のみ。あとは夕食時どころか一日中どこかに出掛けていた。こんなに多くのスケジュールがあるのも高校、大学時代に卓球部やよさこいのリーダーを勤めていたからだろう。私は前にも書いたように授業が終われば1秒でも早く学校を離れたいタイプだったのでクラブに入るなど考えもしなかったが。

 

 

秋ひとみのポスターが残ってないか捜してくれませんか。」

 

これは前に書いた和歌山大学卒業生の松下グループ忘年会での私の言葉。相手は同じ和歌山大学卒業の松下電工の営業部課長。何のことはない秋ひとみさんは少し前まで松下電工のCMに出ていたのだ。こんな業務に何の関係もない厚かましいお願い、それも何かと忙しい管理職の方によくできたものだ。しかしその方、こんなくだらないお願いなぞ無視しても良さそうなところ「心当たりを探したが見つかりませんでした。」とわざわざ手紙を下さった。想像だがこの方も無邪気で畏れ知らずなお願いをしてくる後輩(私)のことを心憎からず感じてくれたのだろう。本当に先輩は有難い。そんなことを考えると私も何かのクラブに入っておけば良かったのかなあ、とも思えてくる。

 

 

さて、カラヤンニューイヤーコンサート。最終曲の「美しく青きドナウ」の前に指揮者が挨拶することが恒例となっている。大抵は団員と声を合わせて「あけましておめでとうございます」と言うだけだがカラヤンは自身の言葉でスピーチをした。ほとんど聞き取れなかったが「ピース、ピース、アンドワンスモア、ピース」という言葉に大いに感動した私は年明けの職場の朝会でこの事を話した。すると朝会からの帰り道、誰か私の裾を引っ張る者がいる。部署で数少ない大卒社員のひとりだ。彼はこう言った。

 

「君な、あんまりクラシック音楽の話とかしない方がええで。難しい話をする奴と思われたら損やからな。」

アドバイスをくれた方の世代では何かと気遣いの必要があったのだろう。幸い私は全くそんな思いをすることはなかったが。

 

ニューイヤーコンサートについてはまた次回(しつこい)。

ニューイヤーコンサート

松下電器を退職した後、失業保険をもらうためにハローワークを訪れた。私の履歴書を見た担当者は開口一番「素晴らしい経歴ですね〜。」と感嘆しきり。そして、こう付け加えた。「今、和歌山大学から入社するのは実質不可能ですからね。」・・・分かりやすく言えば相手にされていない(門前払い)ということだ。私の頃は和歌山大学だけのための会社説明会天王寺で開催してくれた位ほどなのに。

 

今はだいぶ様相が変わっているだろうが私が入った頃の松下電器といえば大卒人気企業ランキングで理系は2、3位。文系でも5、6位に入っていたと記憶する。だから松下電器といえば大卒エリートの集団、目から鼻に抜けるような秀才揃いの会社だと思っていたが実際入ってみるとかなり想像とは違っていた。

 

研修を終えて最初に配属されたのはステレオ事業部営業部、40人くらいの部署だったが大卒は10人くらい。その年の年末に和歌山大学卒業生だけの松下グループ忘年会があった。今思えば結構なお偉いさんも居たのだろうが、そこは一年生の怖いもの知らず、「なんで松下を選んだのですか?」という今書いていても恥ずかしくなるような青臭い質問をした。この質問に何人かの先輩の「来てくれ、来てくれとしつこいので入ってやったんや。」という返答が記憶に残っている。当時の松下は大卒社員を掻き集めるのに必死だったのだろう。エリートの多くはメーカーではなく銀行や商社を希望したからだ。言い方は悪いが当時の松下は中卒、高卒の叩き上げと落ちこぼれ大卒生の寄せ集めだったとも言えないこともない。

 

でも肝心なのは、では当時のけして優秀とは言えない経歴の社員が集まっていた当時の松下と並みの国立大では門前払いの今の松下。どちらが強く逞しい会社か、ということだ。答えは言うまでもあるまい。

 

 

毎年元旦恒例のウイーンフィル、ニューイヤーコンサートに帝王カラヤンが登場したのは後にも先にも1987年一回だ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%881987

 

と、ここで紙数も尽きた。次回へ続く。

大晦日

紅白歌合戦の冒頭何曲かだけ聞いて「こりゃかなわん」と、抜け出してきた。曲どころか歌手も知らないのだから見ていて何も面白くない。今年は演歌組のリストラを大断行し、若者には好評らしいがリストラから逃れた数少ない演歌組もけして嬉しくは思っていまい。ドラマもそうだが人気が先行し、実力が伴っていない連中と同じステージに立つのは苦痛以外の何物でもない。

 

紅白だけではない、年越しの正にその瞬間に起きていること自体が無くなった。一番最近では年またぎ酒場放浪記が和歌山に来た数年前はさすがに生で見ていたがその前後はずっと眠りの中で新年を迎えている。大晦日は家族揃ってレコード大賞紅白歌合戦ゆく年くる年という家庭はタイムマシンの中だけの出来事になってしまったのだろうか。

 

 

「歳を取るほどに年月の流れは加速する」というがその理由のひとつとして今まで生きてきた人生の中での比重が軽くなっていくことが挙げられると思う。5歳の子供にとっての1年は人生の20%を占めるが、50歳ともなると2%、今の私の歳だと1.6%に過ぎない。それと決定的なのは年をとるにつれ、色々なことを経験する上に、更に心の柔軟性が失われ滅多なことには驚いたり感動することが無くなることだ。

 

東北旅行で見た中尊寺の紅葉はものの見事だったが「ああ綺麗だな」で終わり。25歳の時アメリカでビールの値段が銘柄に依って異なるのを見たり、新品の書籍が値引きされているのを見ただけで世紀の大発見のような感動を覚えた、あの感性はどこに行ってしまったのだろう。

 

それに誠に寂しい話だか自分自身が主体となるような出来事が年とともに無くなっていることも事実だ。今年のビッグニュースは?と聞かれても息子が就職しました、3人目の孫ができました、と全ては子供や孫の世代の出来事。自身が絡むようなニュースはない。

 

今年を冷静に振り返ってもバツと思い浮かぶのは私事では思い切って16万円のCDプレーヤーを買ったことくらい。世間一般のニュースではアントニオ猪木さんの訃報、知り合い関係ではM君のガン発覚くらいしか思い浮かばない。(彼のガンについては全く再発の心配はないとのことで本当に良かった。)

 

あと、今年も暑かった!もう冷夏という言葉は死語になったのだろうか。台風や雨の強さも明らかに昔とは桁が違って来ている。この調子で今後も暑くなり、気象は凶暴になっていくのだろうか。今年産まれた孫、社会人デビューした息子、若い人には言葉では言い尽くせない羨ましさを感じるがこれからまだ何十年もこんな過酷な環境で生きて行かねばならないのかと思うと幾分かの憐れみも感じてしまう。

 

まあ、コロナにもならず、交通事故にも遭わず、何よりこれといった身体の不調はない。これ以上の贅沢はあろうか。どうか来年も今年同様つつがない1年でありますように。

 

 

ノーベル平和賞

この文は実は年明けの1月3日に書いている。

 

そりゃそうと、箱根駅伝って誰が興味あんねん!(ヤナギブソンさん的に)あんな関東の学校しか出ていない大会、全国放送するなよ。

 

また八ヶ岳連峰では年越し登山で60代の男女4人が遭難したとか、新年早々しょうもないことで警察の手を煩わしやがって。同じ世代として恥ずかしい事この上ない。

 

正月早々腹の立つニュースばかりだが、そんな中、年末にはこんなほっこりする出来事もあった。

 

救急車が横転、乗組員が他の救急車に搬送される。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be6e71bee38e0c0affd8931bf7a8d5fc523fbc76

 

誰のエッセイだったか、ある曲芸師が登ったポールから降りられなくなり消防車を呼んだというニュースを取り上げ「こんな人にこそノーベル平和賞を上げてほしい」と書いていたが、この救急車の乗組員も十分受賞に値する。何よりも

①無事に任務を終えた帰路であること。

②他に誰も巻き込んでいないこと。

③怪我をした3人とも軽症だということ。

条件としては完璧ではないか。

 

子供の名誉のため誰とは書かないが家にもマラソン大会のズルをして大目玉を食らった者が一人居る。往路の菓子店でずっと休憩していて大体の時間に復路に出てゴールした処、「お前がこんなに速い筈がない。」とばれたらしい。でもそれも学生時代の思い出、いいではないか。

 

箱根駅伝もイチかバチかで近道を搜させるとか一人だけワンメーター分タクシーに乗っても良いとかもっとエンタメ性を持たせればいいのに。正月早々苦悶に満ちた表情で走る人間を見たがる、その神経が分からない。

県勢への影響を心配する

仁坂前知事がひとつ話しにしていたことに全国知事会でのエピソードがある。議長が最初に発する言葉が「和歌山、来てますか?」だという。どういうことかと言うと全国47都道府県の県庁所在地から東京に最短の交通機関を使って最も時間が掛かるのが和歌山。つまり和歌山が到着していれば他の県知事は全員揃っているということ。

 

この話は関空が出来てから和歌山はもっとも短時間で東京に行くことの出来る県のひとつになったというオチに繋がるのだが、関空の所在地は言うまでもなく大阪府泉佐野市、未だに県内の空港といえば南紀白浜空港ひとつというのが現状だ。

 

事程左様に全国の人から見れば和歌山といえば白浜、そしてその大きなバックボーンになっているのはどこよりも多くのパンダを飼育しているアドベンチャーワールドという事に異論を挟む人は少ないだろう。

 

現在、日本のパンダは全部で13頭。内訳は白浜に7頭、上野に5頭、神戸に1頭。その白浜のパンダの内3頭が来年中国に返還されるという。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/wakayama/20221215/2040013395.html

 

上野のパンダ返還の噂も仄聞されるので一時的かも知れないが白浜のパンダの頭数が上野を下回るという恐らくアドベンチャーワールド開園以来前代未聞のことが起ころうとしている。中国を除けば世界で1番たくさんのパンダを見られる施設、繁殖技術の高さで中国からも研修生が訪れる施設、そんな施設が白浜町にあることは県民の誇りであった。

 

少し前に国宝の数は以前は京都がずっと1位だったのにいつの間にか、それもかなりの差をつけて東京が1位になっているという話を書いた。1年に多くても数件の指定しかされない国宝で短期間にこんな変動があるのは何かの力が働いているに違いないと今でも確信しているがそんなに何でもかんでも東京を1位にしないと気が済まないのか。地方の活性化を言うのならいっそ上野のパンダをゼロにして、どうしても見たければ白浜へどうぞ、とした方が得策ではないか。

 

たかがパンダと言うなかれ、3頭も一気に減るということはスタッフにも余剰が出て、それらの方が上野にヘッドハンティングされて、次に中国からパンダの貸与があったとしても経験豊富なスタッフが揃っている上野へ、とならないとも限らない。私としてもこんな予言は当たって欲しくないが。

 

折しも岸本新知事が就任したがパンダ占い的には良くない時期でのスタートになってしまった。

 

数少ない自慢、誇りを泥棒するなよ。