トップクラスのレベル

昨日、美人全体のレベルは間違いなく上がっているが、本当のトップクラスのレベルはむしろ下がっているのではないかと書いた。

 

このことは実は他の多くのことにも当てはまるのではないかというのが本日の主題である。

 

例えば、レコードとCDもこの(美人の)関係に似ている。CDが世に普及し始めた80年代初頭、今は亡きオーディオ評論家、長岡鉄男氏はこう書いていた。「平均的なCDの音は平均的なレコードよりずっと良い。だが最高のCDの音はまだ最高のレコードの音に及んでいないのではないか。」

 

さすが慧眼の長岡氏。彼のこの考えは30年後の今でもそのまま通じるもので、その後SACDハイレゾと続いてきた音源の進化は実は如何にしてアナログの音に近づけるかへの挑戦の歴史でもあるし、それでも物足らないのかここ何年かはレコード復帰への動きも顕著になってきたではないか。

 

スポーツもそうだ。記録だけ見ると毎年のように向上しているのでレベルアップしているではないかという意見がある。しかし、一方でこれらの記録の向上は用具(靴、ウエア、他)や陸上のトラック、スケートのリンクのような競技場の使いやすさの進化によるところが大きいという別の見方も存在する。私はこの分野に詳しくないので書籍やテレビでの知見の受け売りであるがウサイン・ボルト選手が50年前の靴、トラックでは当時の世界記録保持者に勝てない。逆に伊藤みどり選手が今の靴、リンクで滑ればまだ男子でも成功していない4回転半を跳べたのではないかという見方も存在するらしい。

 

技能・芸術の世界もそうだ。超絶技巧という言葉をご存じだろうか。主に江戸末期~明治期に作られた技術の粋を凝らした工芸品や家具のことだが、それらの多くは今の技術では作成不可能だという。何のことはない、職人本人がそれを認めている。以前訪れた中国の故宮博物院でも展示物のいくつかは今の技術でもどのようにして作ったか分からないものがあるという。

 

そういえば長岡鉄男氏はこんなことも言っていた。「現代人は自身の見識が及ばないことに接するとすぐ宇宙人が地球に来ていた、UFOだと大騒ぎするが何のことはない。昔の人間の方がずっと優秀だったのだ。塾にも行かず、参考書も読まずアルキメデスの定理や三平方の定理を発見できる現代人がいるとは思えない。」