松下幸之助創業者

私が勤務していた松下電器についてはこれから何回も触れる機会があると思うが、第1回目は何と言っても松下幸之助氏にご登場願わなければなるまい。(標題は幸之助氏没後の社内での呼称。)

 

と言っても、これから書く一つの出来事がなければ、私が書いたとしてもすべては市販本の受け売り以上にはならなかった筈。

 

入社式を翌日に控えた中、新入社員の関心はもっぱら明日の式に(幸之助)相談役がお見えになるかどうかということだった。「そりゃ、年に1回の式だから来てくれるだろう。」と言う者あれば、「いやお歳もお歳だし(80代後半)来ないのでは。」と言う者あり。

 

・・・結局、相談役は来られなかった。ああ、これでナマで相談役を見る機会は永遠に失われたと誰もが思い、実際大半の者はそうなった。

 

私が相談役をナマで、しかもほんの至近距離で見る機会に恵まれたのは本当にいくつかの偶然が重なったまさに僥倖と言うべきものだった。

 

入社した年の秋、私が配属された音響グループで「音響見本市」なるイベントが開催され、私を含む3人の新入社員が受付を命じられた。イベントは2日間だったが、2日目の午後、どこからともなく「相談役が来られるぞ。」という声が聞こえた。本当か?空耳か?我々3人は持ち場を離れる訳にはいかないので行く末を見守るしかなかったが、間もなく本社の広報班がカメラを持って登場し、どこから持ってきたのか目の前に赤いカーペットが敷かれ、「本当に来られるのだ。」と確信に変わった。

 

そうこうする内に、黒い高級車(クラウンだったと思う)が次々と到着し、役員(副社長~取締役)が目の前を通り過ぎていく。我々は今でいう3D映画を見ているような不思議な感覚にただただ茫然とするばかり。しばらく間をおいて黒のベンツが到着。降りてきたのは山下社長。ほどなく白いベンツ、乗っていたのは松下(正治)会長。

 

それから何分待っただろう。上司からは「相談役が腰を抜かすくらいの大声で挨拶しろよ。」と言われた。じりじりした気分で控えているとロールスロイスが見えた。間違いない。すかさず音響グループ担当の藤岡取締役が駆け寄り、腕を差し出す(相談役は足が弱っていたので)。ああ、この顔、このお姿。感動のあまり挨拶を忘れかけたが、すんでのところで我に返り声を合わせて「いらっしゃいませ!」。しかし相談役は何の反応も示して下さらなかった。ところがその相談役を目で追うと我々より数メートル奥にいた、いつも受付を担当している女性に対して深々とお辞儀をしているではないか!

 

「とんだスケベ親父やな。」誰かが言った。私も心の中で賛成した。それから〇十分後

相談役が出てこられた。「ありがとうございました!」やはり反応はなかった。

 

その相談役が建物を出る直前、入り口に展示していた当時の最高級ラジオ(ボイス・オブ・ザ・ワールドという商品で価格は¥100万円)を指差し「これ何や?」と聞いた。傍にいた誰かが「これは○○という商品で年間15台ほど売れております。それだけでも1500万円になります。ワッハッハ(と聞こえた)」

 

私と創業者との接点は以上である。時間にすればほんの数秒に過ぎない邂逅であったが未だに私の生涯の中でもっとも混じりけのない喜びのひとつである。

 

そして今にして思う。我々に一瞥もくれなかったのは「私と話したければ早くえらくなれ。」という無言の教えだったのだと。そして女性に丁寧にお辞儀したのはいち早く女性活躍の重要性に気づいておられたのだと。