真の美味とは

前のブログで再度のうどん釣りがまったく駄目だったと書いた。

 

これにはいくつか理由が考えられる。

①魚(鮒)がグルメになった。 まさか。ペットなら有り得るが。

②全体の数が減ったので、食べ物の取り合いがなくなった。 考えられないことはないが、ちょっと弱い。

で、私が一番そうではないかと考えているのが:

③うどんの味が落ちた。 そんな馬鹿なと思われるか?いや、私は真剣である。

 

大学生時代に愛聴していた番組に「フレッシュ9時半キダ・タローです」(ABCラジオ)があり、この話が忘れられない。

 

キダ・タローさん、大変なラーメン好きで当時は毎日食べていたそう。ある日久しぶりにチキンラーメンを食べると以前に比べ味が落ちたように感じたので、日清食品の方にその旨話すと返ってきた返事が、

「いやー、さすがキダさん。よく分かりましたね。実は以前は自社で鶏からだしを取っていたのですが、その頃はだしを取った後の肉にもまだ味が残っていました。それが数年前から専門の業者にだし取りを任せているのですが、えらいもので業者がだしを取った後の肉は全く味が残っていないのですよ。その差が出ているのかもしれません。」

 

私は素直に味が落ちたことを認めた日清食品を偉いと思う。

まんが「美味しんぼ」でもこんなセリフがあった。「今の野菜や肉なんて昔の最高の味を知っている者からしたら泣けるようなものばかりですよ。」

 

技術が進歩し、単位原材料から作れる食物の量は飛躍的に伸びた。詳しい数字は知らないが、例えば昔の製法なら1kgの大豆で10丁の豆腐しか作れなかったが、今は30丁作れる、のような。果たしてどちらが旨いだろうか。考えるまでもあるまい。

 

農薬漬けで生産量のみ追い求めた野菜、人工飼料で無理やり成長を早めた家畜。皆同様である。(私の愛するお酒とて例外ではないがここでは触れない。)

 

美味しんぼにはこのような逸話もあった。「皆、虫の食った野菜を嫌がりますが、虫も食わない野菜のほうがずっと怖くないですか。(虫たちは)子孫を残さなければならないので農薬を使った野菜など危なくて近寄らないのですよ。」

 

池の魚もきっと同じに違いない。