大仰なタイトルで申し訳ない。
以前、ヤフー知恵袋でこのような質問があった。
「キャンディーズが人気絶頂のまま、解散したというのは本当ですか?もし、そうなら何故解散したのですか?」
私はこのように回答した。
「まったくの嘘です。晩年はピンクレディー人気にすっかり飲み込まれていました。解散した理由は知りませんが、解散を銘打ったコンサートで最後の一儲けを狙ったのではないでしょうか。」
質問者がキャンディーズファンだったら、夢も希望も打ち砕くような回答だが、当時を覚えている世代の方には賛同してもらえると思う。
まあ、キャンディーズの人気がどうであろうと構わないが、例えばこんな話を聞いたことはきっとある筈だ。
「湯川秀樹のノーベル賞で戦後の打ちひしがれた国民が勇気づけられた。」
(*)同様に「羅生門(映画)」や「フジヤマのトビウオ(水泳)」も使われる。
私も何の疑問を抱くことなく信じていた。が十数年前、ある昭和一桁生まれの方のコラムにこう書かれていたのを見て、考えが変わった。「その日の暮らしが精一杯の国民にノーベル賞なんてまったく別世界での出来事。そんなもので国民が一喜一憂する余裕などなかった。」さらに続けて「当時の国民が本当に元気づけられたのは朝鮮戦争特需で景気が上向き、収入が増えたことだった。」と。
言われてみればまったくおっしゃる通り。明日食べるものの心配をしている時に知らない誰かが国際的な受賞をしても関心を寄せる余裕などあろう筈がない。
私の言う「歴史の証言者」とはこういう意味である。ノーベル賞は快挙に違いないし、ムキになって否定する必要もない。しかし、このままでは教科書に書かれている歴史のみが「正史」になってしまう。これは避けねばならない。
ややもすれば、自身が経験したことですら大勢の流れに身を任せてしまいがちになるが、せめて将来、子供に聞かれたときだけでも”正しい史実”を伝えたい。
20年後、子供に「嵐って、人気絶頂のまま解散したの?」と聞かれたら、何と答える?