新聞の一行に目が止まった。
「日本のウイルス検査体制が遅れているのは、五輪開催に支障が出ないよう感染者数を少なく見せかけるためではないか。」
甘かった。つくづく甘かった。日頃、誰よりも世の中の事象を多面的に見ることを心掛けているつもりだったが、こんな見方ができていなかったとは。
勿論、これが事実とは言い切れない。でも、可能性としては大いに考えられる。
国のメンツの為なら、多少の犠牲はやむを得ないと為政者が考えるのは日本だけに限るまい。
一般国民の生命が軽んじられる。そんな馬鹿なと思われるかもしれないが実際、そんな場面を我々は目撃してきた。1981年に起こったレーガン大統領狙撃事件がその一例。もっと重傷を負った人もいたが、置き去ったままというシーンは記憶に新しい。
映画「シンゴジラ」でも総理大臣がこっそり脱出を試みるシーンがあった。(ヘリコプターは墜落したが。)将来、隕石の衝突が避けられない事態が生じた時、国民と運命を共にしそうな政治家はいるだろうか。
東日本大震災の後、放射能で汚染された福島に国民を置き去りにして自身が足を踏み入れた政治家は何人いただろう。東北に家族が住む某大物政治家は洗濯や風呂までミネラルウォーターを使わせていたという。
この項の最後に一冊の本を紹介したい。
勿論、本を読んでいただくのが一番だが、先ずはレビューだけでも目を通してほしい。一生に一度出会えるかどうかの戦慄の書である。