趣味について語るということ

前のブログでモーツァルト、他2人の作曲家について書いた。

 

自身の経験や、そのことについての考えを披瀝する分には何のためらいもないのだが、モーツァルトのような大天才、しかも世界中で数え切れない程、称賛されてきた人物を私ごときがこれ以上語る資格などあるだろうか。しかも、モーツァルトを愛する気持ちなら誰にも負けない、と言いきれるほど愛している訳でもない(正直言って)。

 

せめて、前に書いた「人間をからかうために神様が遣わした天使」という言葉が私の造語ならかっこいいのだが。

これはどうだろう。「(モーツァルトの音楽は)人類の脳が生み出した最高の奇跡。」

・・・だめだ。ちょっと音楽に詳しい人ならアインシュタインの言葉だとすぐ気付くだろう。アインシュタイン相対性理論だけにしておいてくれたら良かったのに。

 

クラシック音楽に限らず、他にも多くの人が愛好し、趣味にしていることについて語るのは難しいし、勇気が要る。自身の仲間うちだけで話している分にはそうでもないが、この場のように他の人の目に触れるかもしれない可能性が1パーセントでもある場合は余計に気を遣う。

 

以下、趣味について語る資格について思うところを述べる。

 

1.たくさんのお金を遣っていること

オーディオを例に挙げると、私の現有システム(アンプ、スピーカー、CDプレイヤー)は総額60万円位だが、一部の高級マニアが聞いたら鼻で笑うレベルですらない。私はラジカセ(古いか。ではCDラジオ。それも古い?)の音では音楽は充分に味わえないと思うが、上述の高級マニアに60万のシステムごときで、できるのか、と聞かれたら、きっとこう答えるだろう。「音楽を聴くのに金は関係ないんです!」

 

2.知識が豊富なこと

では、そのことに詳しいことが趣味だと人に語れる必須条件だろうか?無作為に選んだ100人とクラシック音楽クイズを争えば、10位以内に入れるくらいの自信はある。チャップリンなら「クイズ99人の壁」でグランドスラムを狙えるかもしれない。でも、知識は所詮、結果として身に着くもので、知識のみで争えばその道の学者の敵足りえない。

 

3.対象となるものを愛していること

対人関係に置き換えると、好きになり過ぎると却って実像が見えなくなる危険がある。逆に贔屓の引き倒し、という言葉もあるし。

 

・・・書いていて支離滅裂になってきた。読まれる方は尚更と思う。これからも趣味について語る機会があると思うが、これほど心の中に逡巡があるということをご理解願いたい。