就職活動の思い出2

テレビに出ていた政治評論家が名前を明かさなかったものの、政治家の間でも東京オリンピック無理かも知れんね、という声が出始めたとのこと。日本は終息に向かっても海外がまだまだこれから増加傾向ということで。

 

私が資料請求した会社は、食品メーカーはハウス食品江崎グリコ北日本食品、電機メーカーは松下電器オンキヨーなど。他にもあったと思うが思い出せない。北日本食品といってもピンと来ないだろうが今の社名、ブルボンなら知らない人はいない筈だ。

 

ブルボン以外はすべて関西本社、関西に限定したのは面接で東京まで行くのが億劫だったから。今思えば人生の一大事を何と心得ていたのだろう。ブルボンは新潟の柏崎市が本社だが大阪でも面接を行ってくれた。

 

私の出たのは地方の国立大学、校舎も今は移転して立派になったが、私のいた頃はまるで戦争で空襲を受けた後のようなひどさで今思えばよくあんな所で我慢していたと感心する。学生も試験時以外はあまり来ておらず、一年の初めてのテストの時に、こんなに学生がいたのか!と驚いたことをよく覚えている。

 

そんな学校だったので卑屈でネクラな学生生活になりがちだったが、卒業間近の就職活動が始まって、初めて母校の偉大さ、有り難さを知ることになる。

 

グリコとブルボンが「最重点校の皆様へ」と題した手紙をくれ、解禁日前の会社説明会に案内してくれた。オンキヨーは直接電話をくれた。

 

説明会には3社とも出掛けた。グリコは案内通り説明会だけだったが、ブルボンとオンキヨーは「せっかく来てもらったのだから」と面接までしてくれた。

 

私、女性相手だと緊張して言いたいことの10分の1も言えない癖に、こういうお偉いさんの前で話すのは得意、かつ受けも良く、ブルボンはその場で本社の重役面接に来ないかとのお誘いを受けた。オンキヨーに至っては最初の面接時に「一旦解散するので、残って欲しい」と言われ、社員食堂で昼食を頂いた後、何人か残ったメンバーだけその日2回目の面接をしてもらい、その日の夜に内々定の電話を頂いた。

 

多少封建的に響くかも知れないが、「女は惚れた相手と結婚するより惚れられた相手と結婚した方が幸せになれる。」という言葉がある。

 

今にして思う。惚れられた会社に行った方が幸せな社員生活を送れたのではないかと。これらの会社は私が就職した松下電器に比べれば確かに規模は小さい。しかし、鶏口牛後という言葉もある。もし、これらの会社に行っていれば今頃、重役、うまく行けば社長になっていたかも知れないのである。(妄想の自由)

 

これをもって私の就職活動は実質終わりを告げた。オンキヨーに行ければ充分と考えたのだ。ブルボンは?本社の面接に行けば多分内定を貰えていたと思う。交通費も出るし、行ってもよかったのだが寒いのが嫌だったのでやめにした。

 

ブルボンは私を採らないで正解だったと思う。

 

まだ続く。