ふと、思った。

水戸黄門のクライマックス、印籠を振りかざす伊吹吾郎さん(格さん)の手が大写しになる。

 

あれだけの大乱闘の後なのに、まったく汚れていない。爪なんか磨いたように輝いている。勿論、爪の中のゴミなど欠片も見られない。

 

それだけ。でも、こういう視点って大切だと思う。


考えれば、暴れん坊将軍桃太郎侍も何人も斬った後なのに汗ひとつかいていない。息も乱れていない。


これはこれで完成されたひとつの伝統芸、「型」だと思う。しかし、見慣れていない者には不自然さを感じさせてしまうのも事実。


この辺りの事情をよく分かっていたのが黒澤明監督ではなかろうか。彼の作品にもスーパーヒーローは登場する。しかし、彼は汗をかく。息も切らす。泥だらけになる。


この不自然さのなさが彼の作品が国際的に評価される原動力になったと言えないだろうか。


黒澤監督と同じく、旧来の時代劇の不自然さに気付いていたもうひとりの天才、勝新太郎氏と衝突、決裂したのは自然の流れかも知れない。