恋愛について2

毎日楽しみにしていた水戸黄門が今日から武田鉄矢になった。短い間に何回、武田黄門を再放送するのか。楽しみのひとつが奪われた。この悔しさを一体どこにぶつければいいのか。

 

さて、私は何故かくも女性に対して一言の言葉も掛けられない程の意気地なしだったのか。自分自身でもよく分からない謎であったが、ある夭折の天才作家の小説にそのものズバリの解答があった。中島敦の「山月記」である。ここに出てくる「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という言葉ほど私の意気地なさの本質を言い当てたものはない。この「山月記」、教科書にも採用される程の名作でごく短いので是非読んで欲しい。

 

比重は小さいが、もうひとつ考えられるとすれば姉に対する男達の態度も多少の影響はあることは否めない。

 

姉は結構、男性に人気があったらしく、私の友人の何人かも「お前の家に行ったらお姉さんがお茶を出してくれるのが楽しみだった。」と言う者がいたし、中学や高校の修学旅行前には「旅行中だけでいいから付き合って欲しい。」という電話が掛かっていたことを覚えている。

 

高校を卒業してからも、旅行に行ったとか何かの口実で土産やプレゼントを持って来てくれる同窓生や先輩がいた。その都度、母は「せっかく持って来てくれるのだから家に上がってもらいなさい。」と言うのだが、日頃はおとなしい姉が、その言葉だけはついぞ聞き入れた事はなかった。

 

そんな男達の態度を見るに付け、こんな男にはなりたくないと思ったことも私の女性観に微妙な影響を与えているのは間違いないのである。