志村けんさん

志村けんさんがコロナウィルスの肺炎で亡くなった。70歳。

 

ドリフターズ残りの生存メンバーは加藤茶さんが77歳。仲本工事さんが78歳。高木ブーさんに至っては87歳。若い頃から太り過ぎで一番早く亡くなるだろうと思っていた高木ブーさんが日本男性の平均年齢を大きく上回って今尚ご健在とは人の寿命だけは分からない。

 

以前書いた「歴史の証言者」ではないが、ここで私の見てきたドリフターズの思い出を整理しておきたい。

 

志村さんがドリフターズに入ったのが1974年、毎週熱心に見ていた全員集合もそろそろ卒業しようかという年頃だった。それに私が一番好きだった荒井注さんの入れ替わり加入ということもあり、当初の志村さんに対する印象はけして良いものではなかったと言うのが正直なところであった。

 

志村さんは最初の頃こそ、やや遠慮がちに見えたがグループ1の人気者になるのにそれ程時間は掛からなかった。そして、それまでの加藤茶さんのポジションを奪っていった。いかりや長介さんは実力本位の厳しい人であったから、目に見えて志村さんを重用し、気が付けば加藤さんはすっかり引き立て役になってしまっていた。

 

後で知ったのだが、志村さんは加藤さんの付け人だったとのこと。この頃の加藤さんの心境やいかばかりだっただろう。現に加藤さんはどんどん元気を無くしていくように見え、当時の女性週刊誌に「加藤茶さん元気を出して!」というような記事が掲載された。

 

私が何故このことをよく覚えているかと言うと、私にはやはり日本古来の年功序列がしっくり来て、それに反するようなことには、本能的に反発を覚えたからだと思う。

 

加藤さんが志村さんと再び肩を並べるトップ2にカムバックしたのはヒゲダンスがきっかけだったと思うが、間もなく訪れた「ひょうきん族」や「漫才ブーム」に覇者の座を明け渡し、さしもの長年続いたお化け番組も終わりを告げることになった。

 

毎週日曜日BSフジでドリフターズの往年の番組が放送されているので是非見て欲しい。私には今のお笑い番組より断然面白く感じられる。

 

志村けんさんはコロナで亡くなった最初の有名人になってしまった。皆、行動を自重し、これ以上の感染者を増やさないことが志村さんの死を無駄にしない最善の供養だと思う。