寄付、募金

篤志家とは程遠い私なのでこのタイトルは少々気後れするのだが、今まで私の行なった寄付行為を少しだけ。

 

金額で言うと何と言っても阪神、東日本の両震災が大きい。と言っても恥ずかしながら自発的なものではなく、職場経由、町内会経由のものであったが。数千円ずつ寄付させて頂いた。書いていて額の少なさに赤面の至り。

 

自身で寄付に出向いたのは和歌山カレー事件の被害者へのものが初めて。テレビのニュースで市役所に募金箱が設置されている事を知ったので勇躍500円玉を握り締めて向かった。ところが…

 

いざ市役所に着いてみるとただ募金箱が置かれているのではなく、箱の置かれた机に職員がふたり座っているではないか!運悪くその時は本当に500円しか持っていなかった。一瞬引き返そうか迷ったが悪い事をする訳でもないし、勇気を振り絞って500円玉を入れると職員の方に住所と名前を書くよう促された。

 

「名乗る程の者ではございません。」とカッコ付けるには額が少な過ぎる。仕方無く正直に記入して逃げるようにして帰ってきた。まるで犯人だ。

 

その週の週末土曜か日曜か忘れたが自宅の電話が鳴った。出ると「和歌山市長の○です。この度は寄付頂きまして有難うございます。」日頃、総理大臣何するものぞ、なぞと偉そうに喋っているくせにいざとなると全く弱い。「電話代の方が高く付きますよ。」くらい言えたらカッコ良かったのだが、ただただ恐縮するばかりだったのは500円玉の後ろめたさもあったからに違いない。

 

次に寄付したのは平成10年の台風による室生寺五重塔損傷へのもの。

https://www.kkr.mlit.go.jp/kizujyo/about/erosion/intro.html

これは特に募金とかはしていなくて、自発的に千円を郵送した。「惨状を見て胸が痛みました。少額ですがお役立て下さい。」との手紙を添えて。程なく室生寺から丁寧な礼状が届き、今でも大事にしまっている。字が綺麗なのはそれだけで大きな宝だ。私のような悪筆で書かれた礼状なら、とっくの昔に捨ててしまっていたことだろう。

 

3つ目は時期は忘れたが難病の子供が海外で手術を受けるためのもの。たまたまテレビで見たその子の両親が私たちと同郷であることを知り、「機会があれば力になりたいな。」と妻と話していた。それから程なくのこと。いつもの通勤駅で降り、バス乗り場まで歩く途中で何人か並んで寄付を募っている。よく見る風景だ。

 

正直に言う。私はこんな時、いつもより早く歩き去る。いつも通り、普通に歩けばいいのだが、心のどこかの「寄付しなくてごめん。」という後ろめたさがそうさせる。つくづく器の小さい人間なのだ。

 

しかし、その日は違った。募金箱に書かれた名前、写真が正に数日前テレビで見たその子供なのだ!千円札を箱に納めるのに迷いは全くなかった。

 

驚いたのはその箱を持っていた人だ。「少しお待ちください。」と言って、お母さんを呼びに行った。どうやら列に並んでいたらしい。お母さんから丁重に礼を言われ、促されるまま名前、住所を記載し「頑張ってくださいね。」とその場を後にした。非常に清々しい気分だった。

 

それから何日後だったか「何月何日にアメリカに行くことが決まりました。」という手紙が届いた。差出人が子供の名前、住所が阪大病院内になっていたことに心が痛んだ。

 

あの子供の手術は成功しただろうか。元気なら、とうに二十歳は越えている。