交通事故2

ロシアがまだソ連だった頃の小咄。

赤の広場で「ブレジネフ(ソ連の書記長)の大馬鹿野郎!」と叫んでいた酔っ払いが捕まった。罪名は…「国家機密漏洩罪」。

 

私は未だにこれ以上のユーモアを知らない。そう言えば私たちの学生時代に読んだ本で「行く前と実際に行って一番イメージに差があった国は?」という質問の第1位がソ連だった。とても親切で家に招いてもらったという回答が多かった。

 

最近もこのような話があったらしい。コロナで外出自粛を呼び掛けているのに改まらないことに業を煮やしたプーチン大統領が街にトラとライオン数百匹を解き放ったという噂が流れた。

 

その夜のニュース番組でアナウンサーが「それはフェイクニュースです。放ったのは熊です。」と言ったとか。

 

絶賛の言葉を惜しまない。

 

 

左腕が動かない。でもどこにも痛みはない。一体どうしたんだろう。この時はまだ先程の交通事故と結び付ける考えは湧いてこなかった。それより飲み会のことを考えていた。我ながら呆れた呑気さ。

 

左手を痛めた、と言うと「まだ右でなくて良かったやん。」と皆さんは思われるだろう。私も何人から言われた。確かに字を書いたり、箸を持つのは右手だ、しかし左には左でなければできない重要な役目がある。私も今回の怪我で初めて知った。例えば、乾杯の時のビールジョッキを持つとき(最初の例がまた酒かい!)、お盆を持つとき(右手は確かに器用に動くが、安定性を求められる作業は左手が向いているということを初めて知った。)社員食堂は左手でお盆を持って、右手で好きな料理を取るカフェテリア方式だったが右手しか使えなかったので、私はかなりの長期間昼食はパンと牛乳で済ませることを余儀なくされることになる。

 

さて、コンサートが終わり、飲み会へ。上記のようにジョッキを持つのも、皿を動かすのも全部右手。面倒ではあったが楽しさが勝った。先輩にはいや、大したことないです、と誤魔化した。勘定は先輩が払ってくれた。

 

先輩と別れて駅へ向かった。そこで困ったちゃん2が発生。ズボンポケットの財布が取れない!何とか右手で抜き出したものの、チャックを開けて小銭を取り出し券売機に入れる作業でまた一苦労。何しろ左腕が上がらないのだ。一度やってみて欲しい。反対側のポケットのものを取り出すのがいかに困難か。

 

やっとの思いで帰宅し、明日もまだ症状が治っていなかったら病院に行こうと就寝。果たして治っていなかったので近くのS整形外科に直行した。診察室に入って先ずあらましを説明すると、では先ず身体を見せてくださいと言われ肌着を脱ぐと「うわー。」という先生の声。驚いて自分の身体を見ると胸の大部分が紫色に変色している。昨日の晩はこんなではなかった。「これはひどい。先ずはレントゲンを撮りましょう。」

 

その後、どんな検査をしたのか覚えていない。結果は思ったより重傷だった。肋骨2本と左鎖骨が折れていた。全治6週間との見立てだった。

 

診察終了後、先生が言った「交通事故には健康保険が使えません。早速相手の自動車保険から支払うよう連絡してください。」

 

健康保険が使えないので支払いは万単位になった。私と妻の所持金合わせて何とか足りた。「怪我よりこちらの方が痛いな。」冗談を言う余裕があったのは不幸中の幸いか。

 

電話番号を聞いておいてよかった。用件を話すと保険会社に言ってみます。程なく返信あり、警察の事故証明がないと保険が出ないので、警察に電話したら〇時に事故現場に来るようにとのこと。

 

警察、保険会社とのやり取りはパート3へ。