タイトルは畏れ多くも、松下幸之助夫人、松下むめのさんの言葉を拝借した。
たまたま運転中に聞いたラジオでタモリさんがこんな事を言っていた。
「鼻を一回かんだ位でティッシュペーパーを捨てるのは何とも勿体ない気がする。だから家では(ティッシュを)取っておいて何回か使うようにしている。」
けしてギャグで言った訳ではない。私はこの言葉を聞いたとき「あぁ、私と同じだ。同じ感覚を持った人だ。」と、とても嬉しく思った。
タモリさんは私より10歳以上年長だが、子供の頃ティッシュペーパーが家になかった点では共通している。ティッシュペーパーそのものは世にあったかもしれない。しかし、一般家庭に普及したのはずっと後年のことだ。初めてティッシュに触れたのはいつだったか。あんなに白くて、柔らかで、ふわふわなのに水に強くて、濡れてもしっとりとしている。”天使のほっぺ”とはこのことかと感激した。とても鼻を一回かんだ位で捨てる気にはなれないのである。
もっと変わったのはトイレットペーパーだ。若い方も話には聞いたことがあると思うが、昔のトイレットペーパーと言えば新聞紙を切り揃えたものが当たり前、たまに電話帳が使われていると柔らかいので「ラッキー!」と快哉を叫んだものだ。
それなのに、たまに公衆トイレに入るとカラカラカラとまるで親の仇のように大量にトイレットペーパーを巻き取って使っている輩がいる。全身をぐるぐる巻きにでもするつもりか?本当に信じられない。
ティッシュペーパーも同じだ。タモリさんや私と180度違って、たかが鼻を一回かむのにシュシュシュッと何枚も使う奴。何を考えているのか。こんな奴とは一生分かり合えることはないだろうし、分かりたくもない。
ペーパーだけでない。私は小さい時から光熱費全般の無駄遣いもできるだけ排除してきた。時には親の部屋の照明を消しに行って「こんな電気代くらい、お前の酒代よりずっと安い。」と嫌味を言われたこともあるが、それとこれとは話は別だ。使っていない電気と、一滴残らず五臓六腑に染み渡る酒を同列に論じるな。
最近になって、電気はこまめに消しましょう、とか(洗顔や歯磨き中の)水の出しっぱなしはやめましょうという広告が見られるようになったが、とうの昔から私は実践していたのである。