ジャッキー吉川さん

ブルーコメッツのリーダー、ジャッキー吉川さんが亡くなった。81歳。

 

言うまでもないことだが、昭和40年代前半の流行歌はグループサウンズが主流を占めており、ブルーコメッツは人気では沢田研二(ジュリー)のいるタイガースや萩原健一(ショーケン)のいるテンプターズに一歩譲るものの、実力はトップクラス、またグループサウンズには珍しく短髪、基本的にスーツ着用というお行儀良さが好感され、当時極めてモラルに厳しかったNHK紅白歌合戦にも(おそらく)グループサウンズで唯一出場を果たし、美空ひばりとの共演(真っ赤な太陽)まで果たした。

 

当時の美空ひばりがどんな存在だったか。残念ながら、現在それに近い者すら思い浮かばない。誰だったか忘れたが、紅白歌合戦のリハーサルで初めて美空ひばりのナマ歌に接した初出場の歌手が「こんな方と同じステージに立つのは畏れ多い」と辞退を申し出たとか。事の真偽はさておき、30歳にして既にそんな伝説をまとった存在だった。

 

ブルーコメッツのメンバーも美空ひばりとの共演を「あんなに緊張したことはなかった。」と述懐していたことを思い出す。

 

当時のことを知る”生き字引”として彼らのレコード大賞受賞曲、ブルーシャトウの当時流行った替え歌を書こうと思ったが、検索すればすぐ出てくるのでやめた。今読んでみたが一字一句間違えていなかった。

 

ある親が自分の子供が何十種類もあるポケモンの怪獣を全部憶えているので天才に違いないと、テレビのびっくり人間番組に申し込もうとしたが、近所中天才だらけだったのでやめたという話がある。

 

子供はみんな天才だ。