天才の御業

将棋の藤井七段が最年少での王位獲得に挑戦している。 

 

実は私と藤井七段は誕生日が同じである。同じ誕生日には三波春夫大先生や杉本彩さんもいたが、そこにまた偉大な仲間が加わるのは嬉しいことだ。

 

将棋は難しいので、ニュースで見る程度だが、この位ハイレベルな戦いになると解説を聞いてもさっぱり分からない。この前の解説でも「これは凄い一手ですね!」などとおっしゃているのだが、何がどう凄いのか勿論分かろう筈もない。その時の藤井七段の一手はわざと相手に隙を見せておいて、攻めてきた処を逆転するという戦略だつたらしいが、何も分からない私はただただ感服するのみ。そのことに直ぐに気が付く解説の方も含めとても人間業とは思えない。

 

人間業と思えないと言えばモーツァルトの大半の楽曲でもそう感じることがしばしばある。この音符の後はこの音しかない、聞いている時は余りに自然なのでうっかりすると聞き逃しそうになるが、この音以外どんな音を持ってきてもこの完成度には結び付かない、このことの繰り返しで曲が完成している。

 

私は今まで私の人生でやり遂げたこと全部合わせてもモーツァルトの小曲一曲に負けると考えていたが、とんでもない傲慢だったことに気が付いた。1音符1小節にも敵わないのではないか。

 

勿論、他の大作曲家も同様だろうがモーツァルトの場合、音符の数が少ない分、より一層そのことがよく分かるし、たったひとつの音、ひとつの音階で天国から地獄に真っ逆さまに突き落とされるような怖い曲は他の誰にも書けなかったのではないか。凡人はただひれ伏すのみである。