小さな生命

子供の頃から動物を飼うのが好きで、今も猫、小鳥、熱帯魚を飼っている。魚を久しぶりに飼い始めたのは息子が夏祭りで持ち帰った金魚すくいの金魚を袋のまま放置していたので、「持ち帰った以上、責任を持つように。」と飼育セットを用意させたのがキッカケ。そこまではカッコ良かったのだが、なんの事はない、その後のお世話は私が全て受け持つことになり、今に至っている。

 

熱帯魚は2つの水槽を持ち、一方にはディスカスやエンゼルなどの中大型魚、もう一方にはテトラやメダカなどの小型魚を飼っている。

 

何年も飼っていると不幸なことながら病気その他の理由で死なせてしまうことも経験しているが、大型魚は亡くなる何日も前から餌を食べなくなったり、じっと動かなくなったりと明らかに体調の不良が分かるの対し、小型魚は前日まで全く普通だったのに、次の朝亡くなっていてびっくりさせられることが多い。

 

弱肉強食の自然では弱った姿を見せること即、他の餌食になることを意味するのでこのような姿態になるのだろうが、店で売られている観賞魚など、数限りない位の世代前から人工繁殖なのに本能というのは余程強くDNAに刻み込まれていると見える。

 

産まれた時もそうだ。よくテレビで見るが草食動物は産まれてすぐ立ち上がり、数時間もすれば覚束ない足取りながら走り始める。肉食動物からすればまだ赤ちゃんだから狙うのは止めようなんて気はさらさらないのだから。

 

これに比べ肉食動物は、というより一番独り立ちに時間が掛かるのは間違いなく人間だろう。独り立ちの定義は難しいが一応社会のルールを理解し、自身の意思で生活できるにはやはり、義務教育終了程度、15-6年前後は必要なのではなかろうか。

 

もっとも昔は更に小さな歳で独り立ちする(させられる)例もあり、松下幸之助氏が9歳で丁稚奉公に出されたのは有名な話だ。当時のことを本人が語っているビデオを見たが、「夜に一人布団に入ると別に寂しいと言う訳ではないんだけど、人恋しいという訳ではないんだけど何故か泣けて泣けて仕方なかった。もっとも僕は少し泣きべそだったというのがあるのかも知れんのだけども。」と…。

 

いかん、書いていて泣けてきた。