死ぬかと思ったこと

本当に久し振りにかつ屋のカツ丼を食べた。長女が結婚する前は月イチ位で食べていたか、何故かここ2,3年縁遠くなっていた。処が最近「孤独のグルメ」で主人公(松重豊さん)が実に旨そうにカツ丼を食べているのを見て矢も盾もたまらなくなった次第。

 

相変わらず美味かった。そして自分でも呆れたのは2,3年前はカツをあてに酒を飲み、ご飯の大半は息子に譲っていたのにご飯も食べ切ってしまう今の食欲だ。酒量もむしろ増えているのに、だ。還暦を越えて食べる量が増えているって…。

 

NHKに「ガイロク(街録)」という番組がある。「街で偶然出会った人にインタビュー」という触れ込みは気に入らない(東京の繁華街しか行っていないではないか!)が、内容はなかなかに面白い。番組で取り上げられる位だから当たり前かもしれないが彼らの波乱に満ちた人生話を聞いていると自身の平々凡々が実に有難く思えてくる。

 

そんな私であるが今までに「死ぬかも」と思ったこと、「これで人生終わった」と思ったことが2回ある。

 

1回目は1982年、大学の卒業旅行でヨーロッパに行った時のこと。この時の伊丹→成田が人生初のフライト体験。何より衝撃的だったのは離陸直前のスピード感と座席に背中が押し付けられるような怖さと快感は今でも脳裏に鮮やかだ。

 

そんなフライトも何回かの乗り換えで経験を重ね、いよいよローマから目的地のロンドンに飛び立つ正にその時。滑走路に飛行機が入りぐんぐんスピードが上がっていく、前輪が宙に浮き、あっという間に地上が米粒のようになっていく筈だった。ところが…。

 

いつまで経っても後輪が離陸しない!いくら空港が広いと言ってもこのスピード、どこかに激突するに違いない。機内からもざわめきが聞こえてきた。

 

爆走は何秒続いただろうか。乗客全員が無限のような長さに感じたに違いない。突然逆噴射のような急ブレーキがかかり飛行機は止まった。助かった~。元の位置に戻った機内でしばし待たされたが機内アナウンスが流れ、全員飛行機から降ろされた。その夜は急遽の予定変更でローマで一泊することになった。ホテルに向かうバスですれ違ったスクールバスから手を振ってくれた女の子、可愛かったなあ。これも命あればこそ。

 

2回目は1995年前後の冬だった。滋賀県栗東市の自宅から京都山科のディスカウントストアに行った時のこと。買い物を済ませ、運転席に座ったとき折から振り出した雪でタイヤがスリップし動けなくなっている車を発見した。

 

これで運転手が男、或いはおばちゃんなら見て見ぬふりしてエンジンを掛けていたかもしれない。ところが運転手が若い女性だったのが運の尽き。颯爽と車から降り立ち、車の元へ。「後ろから押しますよ。」と声を掛け押してあげた。お陰で車は無事ぬかるみを脱出し動くことができた。無事でなかったのはこちらの方だ。雪で足を滑らせ車のバンパーで思い切り顔面を打ち付けた。それほど痛く感じなかったのと、何より無様な姿を見られたくないという羞恥心ですぐ立ち上がり、マイカーに戻ると妻が言った。「どうしたん?目から血出てるで。」指で拭うと軽く出血している模様。まあ、でも大したことはないと帰路につき、自宅でメンソレータムを塗って就寝した。

 

事件は翌朝に起こった。目を覚ますと片目(左目だったと記憶する)が見えない!すわ失明か?色んな事が頭をよぎった。俺は一生片目で生きるのか?なんで昨日女の子の連絡先だけでも聞かなかったのか?(こんな緊急事態でも治療費のことを考える自分が情けない)。等々

 

暗澹たる気持ちで妻の元に行くと(妻とは新婚当初からいびきがうるさいと別室で寝ることを強要されていた)、妻は開口一番「どうしたん?目腫れ上がってるで。」幸いだったのは片目で視界が狭かったので妻が笑っていたか確認出来なかったことだ。もし笑っている現場を私の両目が捉えていたら、今頃は全く違う人生を送っていたかも知れない。

 

慌てて鏡の前に立つとまるでボコボコに殴られてKO負けしたようなボクサーのような顔がそこに写っていた。目が見えなかったのはこのせいだったのか!

 

でもまだ安心出来ない。会社に遅れる旨電話し、何十年振りに眼科に駆け付けた。家に眼帯などなかったので待合室で他人の視線が身に沁みた。きっと皆思っているだろう。弱いくせに喧嘩したんだなと。実際は180度違うぞ!名誉の負傷だぞ!結婚式以来の他人の注目を何とか耐え抜き、診察室へ。医師の見立ては「ただの打ち身でしょう。心配ありません。」良かった〜。

 

以上が私のヒヤリハット体験の全貌である。どうだ参ったか。