栄枯盛衰

現在テレビ和歌山で大ヒット時代劇「暴れん坊将軍」の第1シリーズ「吉宗評判記」が放送されている。まだ後の完成形になっておらず、どちらかと言えば「遠山の金さん」のようなストーリー展開になっているのが興味深い。

 

第1回は紀州藩主だった吉宗が将軍になる裏舞台が描かれた。本日放送分のサブタイトルは「紀州から来た凄い女(やつ)」。その凄い女役は何と美空ひばりさん!

 

美空ひばりさんがどれ程凄い人だったか、私ごとき者が語るのはおこがましいが、ひとつだけエピソードを紹介しておく。紅白歌合戦のリハーサルで初めて美空ひばりさんの生唄を聞いた某初出場歌手、「私にはとてもこの人と同じステージに立つ資格はありません。」と出場辞退を申し出たとか。辞退の願いは却下されたがその歌手もかなりの実力派だつたことは間違いない。才よく才を知る。その美空ひばりさんが紀州女の役を演じてくれているのだから、それだけでも嬉しいではないか。

 

この第1シリーズが放送されたのは1978年、母の母校である箕島高校が全国に勇名を馳せていた時代だ。箕島全盛期の1970年代、春夏合わせて20回ある全国高校野球大会のうち、箕島は実に4回優勝している。いや、以前触れたが1977年の有田市コレラ騒ぎがなければ夏も優勝していた可能性が高い。PL学園大阪桐蔭のような名門私立ならまだしも、それどころか人口3万人の田舎の公立校がこれだけ明確な一強時代を作り上げたのは、今になって却って信じ難いものがある。当時は応援することに必死であまり深く考えることはなかったが。

 

箕島が春夏連覇を成し遂げた1979年、後援会が作成した「栄光への道」という書籍を母の伝で入手、私の数少ないお宝になっているが、そこに非常に感動的な逸話が紹介されている。

 

箕島高校のOBで今は他府県に住む人が朝自宅の庭を剪定していると、どこからか聞き覚えのあるメロディーが聞こえてきた。耳を澄ますと近所の小学生たちが箕島高校の校歌を歌いながら通学していたというものだ。そしてこう結ぶ、「今やこのような光景は全国各地で見られるのではないでしようか。」

 

確かにこの頃、全国で和歌山と聞いて思い浮かべる第一位は梅でもミカンでもなくぶっちぎりで箕島高校だったのではあるまいか。私にも経験がある。ある旅先で宿泊者名簿に記入していて住所が和歌山と見ると「あの箕島高校の!」と声を掛けられた。そしてこう嘆いた。「今度、うちの高校が一回戦で箕島と当たるのですよ。本当に運が悪い。」確かに組み合わせが決まった直後だった。

 

その箕島も甲子園から遠ざかって久しい。代わりにのし上がって来た智弁和歌山もここ何年思わしくない。

 

ドラマや映画でも和歌山が舞台の作品はいったい幾つあるだろう。ケンミンショーなどお隣の在阪局制作なのに和歌山が取り上げられることは殆んどない。ワースト3に入るのではないか。

 

地方の疲弊がよく叫ばれるが特に和歌山は深刻だ。息子が住んでいる高知は人口だけ取れば和歌山より少ないが街の活気は比べ物にならない。

 

暴れん坊将軍が放送され、箕島が大活躍していたあの時代のような街の喧騒が帰ってくる日は来るのだろうか。