朝から孫の動画を数十回見た。今日中に百は越えるだろう。
41年前のこの試合、後に高校野球史上最高の名勝負とか、神様が作った試合などと呼ばれ、生で見ていた方は羨ましいとも言われるが、当時な素直な感想はそんな感動など味わっている余裕がなかったというのが本当のところだ。
何しろ箕島はその年春選抜の優勝校、夏も当然優勝候補筆頭、2回戦(2回戦からの出場だった)の札幌商戦も7対3で軽く屠っていた。この頃は当たり前に思っていたが箕島は格下の相手に苦戦することはあっても負けることはないと信じていたし、実際そうだった。しかし、これはなかなかに大変なことだ。今夏の智弁和歌山のポカ負けなどを見ても分かる。
一方の星稜は、と言うと英語で言えば、「Seiryo,who?」という程度の認識。北陸の学校だし、今回も箕島の楽勝間違いなしというのが箕島ファンのみならず大方の見方だった。
試合展開については色々なメディアで取り上げられているので、詳述しない。苦戦なんてものではない。押されっ放しなのである。当日のスコアを見ると箕島13安打に対し星稜19安打となっているがもっと差があったように感じた。あれだけのピンチを背負いながら得点を最小限に押さえられたことの方が奇跡に思われる。
あまり報じられないが試合当日、箕島の主将の上野山選手が38度以上の高熱で試合出場も危ぶまれていたこと。それを知っていたバッテリーはなるべくセカンド方向に打球が飛ばないように配球していたと後に知った。苦戦の原因はここにもあったのかも知れない。
兎にも角にも試合が終わった。何度も書くが感動したという思いは全くなくて、ただただ「疲れた〜」。
今、冷静に振り返ると確かにドラマ性という点では凄い試合に違いない。しかし、見ていて面白い試合だったかと言うと少なくとも私は首肯しない。箕島が苦戦したからとかではなく、得点の回以外はあまり面白味のない、失礼を承知で言えば「間延びしたゲーム」に思えた。
ついでに言えば私が生で見た箕島のベストゲームは同年春の決勝対浪商戦。8対7の試合をルーズヴェルトゲームと呼ぶらしいが正にそれを地で行くような逆転又逆転の壮絶な打ち合い。監督からの敬遠指示に「投げとるんは俺や。黙って見とけ!」と返した浪商、牛島投手。(箕島の北野選手もキャッチャーの香川選手に「敬遠なんかするなよ!」と言ったらしい。)本当に痛快な時代だった。
1982春の明徳義塾戦も凄い試合だったらしいが、この時は社会人1年生。学生ならズル休みしただろうが。
翌1983も吉田高校戦で大逆転劇を見せた箕島。これが強い箕島の最後だったかも知れない。