占い

中学校だったか高校だったかの国語の教科書に次のような文章が載っていた。川端康成さんだったと思うが確信はない。

 

中国の故事の引用で人物の名前は忘れた。仮にA,Bとしておく。

Aが川で泳ぐ魚を見て「気持ち良さそうに泳いでるなあ。」と言った。それを聞いたBが「君は魚ではないのに、魚の気持ちが分かる筈がない。」と返した。Aは「君は僕ではない。何故僕が魚の気持ちが分からないと言えるのだ。」と反論した。B更に返して「確かに僕は君のことは分からない。同様に君も魚のことを分からない。」…

 

川端康成さん(?)はこの後、「この文章だけ読めばBの方が有利に思えます。しかし、私はAの肩を持ちたいのです。」と結ぶ。

 

私の占いに対する考えもこれに近い。占いを頭から全否定する人間は「所詮おまじないだ。」とか「同じ誕生日の人間は同じ性格、運命の筈だ。」などと言う。それはそうだ。が、まあそんなに頑なにならなくても良いではないか。

 

少し前に私が影響を受けたオーディオ、クラシックの評論家について書いた。今の私は評論を見て商品を買うことは殆んどない。しかし学生時代の今よりずっと貧乏だった頃、評論家の一言、一言は買い物するのに大きな重みを持っていた。

 

そんな時、ひとつの指標となったのは日頃正反対のことを主張している評論家が両方とも誉めているということだ。例えばスピーカーを買うとき、この人はソフトな音が好き、この人はハードな音が好き。そういうふたりが揃って誉めていれば、それは「間違いなく買い」ではないか。或いはカラヤン嫌いの宇野さんが誉めているカラヤンのレコードは名演だろうとか、逆にトヨタ贔屓の徳大寺さんが悪く言うトヨタ車はよほど出来が悪いとか。

 

占いも同様、名前、生年月日、星座その他多くの占いがあるが、それらのどの占いを見ても共通する内容があればそれはそれなりに信じて良いのではないかと思っている。

 

私の場合、共通する内容は結構多い。ロマンチスト、芸術家肌、想像力豊か、反抗精神が強い、感情、運命の起伏が大きい。など

 

大事なことを忘れていた。どの占いにも共通すること。独立して仕事するのに向いている(言い換えれば会社勤めに向いていない?)。これが大当たりであることは言うまでもない。

 

もっと早く(占い本を)読んでおけば良かった。