三島由紀夫氏 没後50年

三島由紀夫氏が割腹自殺を遂げて25日で50年。私は11歳だったが子供心にもかなりの衝撃を受けたようで、当時の新聞、雑誌に載っていた記事は今でもよく覚えている。

 

ある新聞は自殺を遂げた部屋の現場写真を載せた。写真の隅に何やら1cm四方に満たない小さな影が2個写っている。よく見ると三島氏と介錯をした二人の首だ!余談だが母の友人に強度の近視の人がいて、いつも棟方志功氏(下図)のようにして新聞を読むのだが、当該記事でそれが生首の写真だと気付いた時は仰天して腰を抜かしたという。

f:id:sadajishohei:20201123095018j:plain

 

またある週刊誌は首のない遺体写真を2ページにわたる白黒グラビアに掲載した。演説をしたときの軍服姿のまま横たわっていた。

 

極めつけは1984年発売のFriday(写真週刊誌)創刊号。何と三島氏の生首のアップ写真を掲載した。関係者が保管していたものが見つかったという。この本は今も手元にある。

 

それにしても今なら新聞や書籍にこのような写真を載せられるだろうか。果たして彼らは遺族の許可を取ったのだろうか。何もかもが”いい加減”だったように思う。それが悪いこととはけして言わない。いや今のやたら自主規制の名の元、金縛りに陥っているマスコミより余程健全だったのではあるまいか。

 

偉そうに書いたが私は三島氏の著作一冊も読んでいない。(教科書に載っていたら読んだかもしれないが覚えていない。)読んだのは発言集のみ。特に印象に残っているのは「先日会った東京都清掃局職員に圧倒された。人生を一番根源のところで捉えているという深みがあった。彼らの前に立つと自分などただの”汚物発生器”にすぎないと思えてしまう。」というもの。難しい文章を書いたり、高尚な言葉を紡いでも所詮は自分の頭の中で空想したもの。実際には自身の汚物ひとつ処理できないことへの痛切な恥じらいがあったのだろう。

 

コロナ被害が特に深刻な札幌市で職や家を失った人を助けるボランティア活動を行っている人を取り上げた番組を見た。無事職を得て、初めての給料でお礼にジュースを買って施設を訪れた男性に掛けた声が印象的だった。

 

「給料って何だと思う?」

男性答えて「頑張った自分へのご褒美だと思います。」

「違う。給料は我慢代だ。だからこんなことにお金を使ってはいけないよ。」

 

いつの時代も地に足のついた言葉は重い。