韓国。この…なる隣人

私が韓国に行ったのは昭和62(1987)年冬。オリンピックを翌年に控え、ソウルの街は五輪一色だった。

 

ツアーの内容は今でも覚えている。往復の飛行機とホテルまでの送り迎え、2泊3日素泊まり、観光なしで¥58000だった。

 

空港に着いて目印の旗の元に集まったのは15-20人くらい。ガイドは40歳位の女性だった。「ほな、僕らはここで。」全員の人数確認が終わると数人の中年男性が抜けて行った。見るとそれぞれに若い女性が迎えに来ていて、待たせていた黒塗りの車に乗り込んで去って行った。

 

事情が分かったのは帰りに再び空港に集まった時。空港に来ていたのはおっさん達の愛人で、2泊3日を彼女と自由に楽しんだのだ。「それなら自分で航空券を買って来たらいいのでは?」、「自分で買ったら飛行機代だけでツアー費より高い。」…納得。

 

また触れる機会もあると思うが、韓国には色々と腹を立てさせられることも多い。しかしほんの30年くらい前、日本人(少なくともおっさんの何割か)は韓国をそんな風に扱ってきたのだ。当然多くの国民は気付いていただろう。そのことは我々も知っておく必要があるように思う。

 

他のメンバーは空港からホテルを目指した。夕方になっていた。「先に土産物店に寄ります。」着いたばかりで何故?理由はすぐ分かった。店に入れば各々グループに分かれる。私と友人にガイドが声を掛けてきた。「お兄さんたち、今晩予定ある?」特にないと答えると「ではロビーに○時に来て。」夜の街へのお誘いだった。

 

最初に入った店で夕食を食べている部屋にかわるがわる女性が入って来た。数人ずつ数組。ガイドはずっと横に居た。「○組目の○色の服の子」それぞれ指名すると店の入口で彼女らは待っていた。

 

詳細には触れないが、純粋にガイド代わりとしても彼女らがいてくれたことは幸いだった。韓国に行く前、そこそこ日本語が通じるだろうと思っていたが全くと言っていい程通じなかった。英語も通じたのはホテル内くらい。漢字は共用だから分かるだろうと考えていたが、街で見かけるのはハングルばかり。あんな丸書いてちょんみたいな文字分かるべくもない。彼女らが居なければろくに移動も出来なかっただろう。

 

ソウル観光で思い出すのは先ず漢江の橋を渡った時の風の冷たさ!冬の北海道にも行ったことがあるがもっと冷たいと感じた。2番目はカラオケ。彼女らも店の女の子も私達の知らない日本の最新ヒット曲をよく知っていた。「ええっ。まだ(東京)ディズニーランドに行ったことないの?」彼女らに茶化されたが、むしろ嬉しかった。3番目は焼き肉を食べに行った時のこと。彼女らは焼くばかりで食べようとしない。何故食べないのか聞くと「この店はとても高いので私達が食べるのは申し訳ない。」泣かせやがって。これが彼女らの高等戦術とは思いたくない。

 

ありゃ、観光地の思い出が何もない。でも、本当に思い出せない。いったい何をしに行ったのやら。

 

何年も後に知ったのだがこの頃韓国ではまだ日本の本や歌は禁止されていた。当然日本語の教育もされていなかつただろう。なのに私達は韓国人の多くは当然日本語を話せるだろうと勝手に思い込んでいた。既に戦後40年以上経っていたのに併合時代の正の名残りがあるものと勝手に思い込んでいたのだ。

 

自分で自分が恥ずかしい。おっさん達の所業を非難出来る立場ではない。