年賀状

そろそろ年賀状を書く季節になった。年賀状と言って思い出すのは小学生時代の国語の参考書に引用されていた團伊玖磨さんのエッセイ。あの手この手で良くこれ程というくらい年賀状の悪口を書き連ねているのだが、根底には年賀状に対するそこはかとない愛が感じられる名文であった。

 

想像だが團伊玖磨さん自身、毎年膨大な枚数の年賀状をやり取りされていたのではないだろうか。

 

処が今はどうだ。今の30代以下で年賀状を出す習慣のある人はどの位いるだろう。私の子供も職場や親戚の最低枚数を除き年賀状は出さない派。確かにしょっちゅうLINEやメールで繋がっているので改まって新年の挨拶でもあるまい。

 

考えれば年賀状も悪い。って年賀状自体に責任はないが。

 

何年か前、私宛に届いた数十枚の年賀状の内、表も裏も全部手書きというのが何枚あるか数えたらたったの1枚であった。その人も次かその次の年に「今年で年賀状を卒業します」と言って来た。

 

私にも多い時は100枚を越える年賀状が来ていた時期があった。しかし、その大半は前年に会ったことも話すらしたことの無い相手。当然今年も会う予定はない。それらを全部止めるとそれこそ一桁に近くなる。それで元々余り相性の良くない(私の主観)相手、元旦に届かなかった相手などとどんどん切り捨てて、今は40枚程で落ち着いている。

 

年賀状でひとつだけ心掛けているのは多くの人も行っているように必ず一言以上添えること。

 

えっ、読める字で書いてるか?

 

そこまで気が回らなかった。