自己反省

先日の衝撃の旨さが忘れられず昨日またまた牛丼を食べた。結果、前回から余り間がなかった為か、前ほど美味しいと感じなかった。「美人は飽きる」の言葉通りどんなに綺麗(美味しい)でも毎日見ていると有難みが薄れる。失敗。

 

「涙と共にパンを食べた者でなければ人生の味は分からない」という言葉がある。若い人に正しく伝わるだろうか。涙が出るほどパンが不味かったという意味では勿論ない。(持論だが食べ物の味に文句を言う者にロクな奴はいない。)何日間も食べることが出来ず、やっとの思いでありついたパンが涙が出るほど有難かったという意味だ。多分。

 

M君が初めて牛丼を食べた時「世の中にこんな美味いものがあるのか。」と思ったと書いた。先日私が食べた時もそう感じた。しかし、それは本当の本音だったのだろうか。例えば特上和牛のステーキ、大間産マグロのお造り。何れも食べたことがないのであくまで想像だが、これらは間を置かず、続けて食べても美味しいと感じるのではないだろうか。

 

ならば、M君や私の牛丼への手放しの絶賛は何だったのか。けして嘘は言っていないが、心のどこかに牛丼に対する上から目線、「お前みたいなモノを褒めてやってるぞ。」とか「お前みたいなモノに感動する我々は庶民の味方だぞ。」という自己保身が働いていたのかも知れない。それならば一層のこと「たまに食ったら旨いけど、しょっちゅう食いたいものではない。」とハッキリ言った方が良かったのかも知れない。

 

相手の社会的位置付けで態度を変える(店員に偉そうな口を効く等)のは私がもっとも戒めている行為だ。

 

師走の最初のブログは自己反省で始まる。