同和問題

NHKの関西番組で同和問題を取り上げていた。デリケートなテーマなので込み入った意見は差し控えたい。番組に寄せられていた意見の多くは「放っておけば自然消滅するのではないか」というもので、実際うちの親もそうだった。

 

私の場合中学校に入って初めて同和問題というものを知ったが、「部落」という言葉を聞いた時は冗談抜きで日本にインディアンが住んでいたのかと勘違いしたほどだ。

 

部落差別など絶対あってはならないが、いわゆる差別問題や差別用語となると話は別だ。

 

昔の映画やドラマを放送する際「現在では不適切な言葉がありますが〜」のテロップが流れることがある。先日見た「座頭市」でもこんなやり取りがあった。

サイコロ博打を覗きに来た座頭市

「あっしや博打には目がないんで。」

それに応えて賭場の主、

「目なんか元々ないじゃないか。」

 

言葉狩りの好きな人は目を吊り上げて怒るだろうが、この会話の何が問題なのだろうか。この映画制作当時はこのやり取りはユーモアとして捉えられていただろうし、だからといって昔の人の方が差別意識が強かったとも思わない。

 

元々人間は平等ではない。暴走運転で何の罪もない母子の生命を奪った気狂い(これも問題?)ジジイ、どう考えても上級国民扱いではないか。

 

友人の子供はネットで某企業の就職説明会に応募したら定員に達したので締め切ったと出た。処が彼の別の大学の知り合いは彼より後に応募したのに何の問題もなくOKだった。知り合いはいわゆる一流難関大学だった…。こんな例はいくらでもあるのではないだろうか。

 

昔、南沙織さんのことを他のアイドルのファンが色が黒い(沖縄出身)と言ったら肌の色は本人の努力ではどうしようもないのだから言ってはいけないという反論が出て問題になったことがあった。それなら鼻が低いのも歯が出ているのも努力ではどうしようもないと思うが同じではないらしい。もてない男の条件として「チビ・デブ・ハゲ」という言葉が堂々と語られていたこともあったが、これは言ってもいいのか。

 

今は全くそんなことは感じないが私が子供の頃、市内にある花王石鹸の工場から何とも言えない臭い匂いがした。同じように自宅からそう遠くない同和地区は皮革工場が多くあったのでやはり臭かった。中学校の同和教育で「花王石鹸が臭いのと○(同和)地区が臭いのは何が違うのでしようか?」という課題が出されたことがある。

 

肌の色は皮革工場で、チビ・デブ・ハゲは花王石鹸か。皮革工場が同和地区ではなかったらどうなるのか。

 

益々訳が分からなくなってきた。