うつと新聞

先月一杯でM新聞の購読をやめ、元々親が購読しているY新聞に統一した。早朝夫婦で読んで親の起床前に返しておくのだが、何の不都合もない。テレビはかなり前から録画しか見ないし、番組表が出るので困らない。

 

うつ病は今や患者百万人以上の新たな国民病と言われる。この病の厄介なところは自分以外の者には症状が分かりにくいことで、中には休日は元気なのに職場や学校に行く平日になると発症する場合もあり、他人から見れば全くのサボりにしか思えない。

 

男の場合、朝に新聞を読みたくなくなったらうつの可能性ありと聞いたことがある。実は私も10年以上前だがうつかも、という症状で休職していたことがある。それでも新聞は読みたかったし、いくつかの病院で処方された薬どれひとつ効かなかったので本当にそうだったかは分からない。ただ、その頃の写真を見ると頬はコケているし、ズボンもベルトでかなり締めている。体重を測ったかは覚えていないがかなり痩せていたと思われる。もうひとつ覚えているのはその頃、娘と歩いていた時に「お父さん、こんなに歩くの遅かった?」と聞かれたこと。元々私は歩くのが早く、走る速さとあまり変わらないのが自慢だった。本当にうつだったのかも知れないが今はすっかり快癒している。いや、し過ぎている。

 

うつ(?)の時でも新聞は読みたかったと書いた。しかし、今はその頃と比べてすら読みたいと思わない。以前は20-30分掛けてほぼ全ページじっくり読んでいたが、今はテレビ欄5分、その他のページ5分といつたところか。読み飛ばすか、読んでも見出しのみが殆んど。何故こんなことになったのだろう。老化のせいで社会の出来事全般への興味が薄れたこともあろう。でも、それだけではない。

 

ひとつは記事がコロナ関連ばかりでテレビで既知のものが多いこと。2つ目に政治や経済の分野でも二極化が進み、より一層我々の関心を引かなくなったこともある。

 

しかし、それ以上に肝心の新聞社自身が面白い紙面作りに力を入れなくなったことも大きいのではないか。若者の活字離れを嘆く前にそのことに力を入れ直す必要があるように思う。もし、私が10数年前に今の新聞を読ませられていたら、間違いなくうつだと勘違いしただろう。