変節

東日本大震災で発生した福島原発事故の直後、当時の菅政権が天皇陛下(上皇様)に避難を勧めたが「国民が避難していないのにあり得ない」と断っていたことが分かった。

https://mainichi.jp/articles/20201230/ddm/041/040/027000c

 

政治も政治なら国民も国民と思わせる出来事ばかりが目に付く昨今だが、このような話を聞くと日本にこんな公正無私の方がおられる事に心から感謝せずにいられない。

 

もし、陛下が勧め通り避難していたらこれ幸いと政治家や官僚も避難していなかったという保証はない。

 

来年の新春参賀の中止はすでに決まっている。今上陛下は2月23日のお生まれだから誕生日の参賀も難しいだろう。まだ先の事だが春の選抜も微妙だ。こんな中でどうやらオリンピックは強行するつもりらしい。一体何を考えているのやら。

 

前に少しだけ触れたが陛下と私は同学年、また名前の1字が共通していることもあり、勝手に親しみを感じており、初めて会う人との1つ話しのネタにもさせてもらっている。

 

かく言う私だが、子供の頃はけして皇室大好き少年ではなかった。今でも覚えているが昭和46(1971)年和歌山で国体が開催され、開会式で市内の小学6年生でマスゲームをすることになった。体育の授業の大半はマスゲームの練習に費やされ、それでなくても嫌いな体育が余計嫌いになったが、ただひとつ「天皇陛下に見てもらえる」ことだけが心の支えだった。

 

いざ開会式当日。10月だったが結構寒かったように記憶する。我々の出番は午前中。勢いよくゲートを走り抜けてグラウンドに出るとえらく客席が閑散としている、と言うよりほぼ無観客。今年の流行語を40年以上も前に味わっていた。後で知ったのだが正式な開会式は午後から。当然天皇陛下が来られている筈もない。じゃあ我々のマスゲームは何だったのか。ただの時間潰し?空しさと怒りがこみ上げてきた。

 

こんなこともあった。市内の小学6年生に招集が掛かった。用件は国体見学に来られる浩宮様(今上陛下)の先導役が歩くペースを掴むためということだった。私は陛下よりだいぶ大柄だったので選に漏れたが、「何を大袈裟な」と教師が言っていたことは覚えている。こんな教師の元で皇室を好きになるのは難しい。

 

学校の式典で日の丸や君が代を拒否する教師がいるとか。私達の頃はそこまで酷くはなかつた。前に述べた六曜もだが、何でもかんでも問題視する風潮には付き合い切れない。