社員寮の思い出

南海電車に乗車中。よりにも寄ってこの時期に何故大阪?

 

目的はスマホのバッテリー交換。ファーウェイのサービスセンターが近くでは梅田にしかないのだ。本社に郵送という手もあるがその場合必ずデータは初期化される。その点センターに持ち込めはデータを消さないよう努力してくれる。

 

もうひとつの理由は南海電車の回数券の期限が1/10までということ。これでコロナにでもなったら「電池と回数券の為に感染した男」としてまた一つ箔がつく。まっぴらごめんだが。

 

センターの開くのが11時で時間に余裕があったので泉佐野まで普通電車に乗った。車窓から線路のすぐ脇に住宅街が見える。さぞうるさかろう。

 

私も滋賀県に引っ越した1985年頃こんな場所のアパートに住んでいた。住むに至った理由は下記の通り。

 

同年、静岡での外部研修機関を修了した私は滋賀県勤務を命じられた。研修中は当然一人部屋。その前の大阪の寮は2人部屋だった。滋賀は大阪より土地に余裕があるので一人部屋を期待していたが、何と4人部屋!しかも同部屋は全員先輩。

 

同年、阪神タイガースが21年ぶりの優勝まっしぐら。今は野球に何の興味もないが、当時は雨後の筍の如く現れた「なんちゃって阪神ファン」の一員で、勿論ナイターを見たいのだが部屋の先輩は巨人ファンで思うに任せない。

 

ダメ押しにもう一つ。もう時効だから正直に言うが食事が大阪の寮よりだいぶ落ちた。食事に文句を言うことが許せない私が言うのだから余程だった。朝食などご飯と味噌汁のみ。各自漬物とかつくだ煮を持ち込んでいた。

 

等々あって寮を出ることを決意。何軒か見た中で立地、家賃から決めた。JR東海道線瀬田駅の近くで住所は大津市大萱。今でも建物が残っていれば辿り着けると思う。

 

ここが上で述べた以上に線路の近くでやかましいなんてものではない。電車が走っている間はテレビが聞こえないのは勿論、「建物が揺れる」のである。

 

しかも南海電車と違って東海道線は日本の大動脈。せいぜい0時頃に終電の南海と違い、一晩中深夜列車や貨物列車が走っている。今は通常時でも睡眠剤のお世話になっているのに、それほど問題なく寝れたのはやはり、若さだろう。

 

当時の松下電器の寮、何故複数人部屋だったのか。相互チェックで社会性を養うというのが大義だが、一説には「自殺防止」という一面もあったとか。

 

それと忘れられないのは真夏でも真冬でも空調が22時に切れること。若いので暖房が切れてもそれほど堪えないが夏はキツい。それでどの部屋もガンガンに冷やして冷房が切れたら早目に寝ていた。そう言えば門限も22時だった。

 

色々あったが、これも人生の1ページ。