亡き友が教えてくれた

私の父親は自分勝手な性格を除けばB型とは思えない(B型の方ごめん)几帳面な性分で皆A型と思っていた。

 

そんな父親の恒例行事のひとつが年賀状の整理。毎年200枚ほど来る年賀状のひとつひとつについて「出したけど来なかった、出してないけど来た」などに区分して、それだけで2日ほど費やしていた。何事に関しても大雑把な私はたかが年賀状に何を熱心な、と若干呆れた目で見ていた。

 

前にも書いたが私は年賀状に関しては徹底したリストラを貫き、ここ数年以上40枚前後で落ち着いている。今年の年賀状も一通り目を通したが、特に誰から来たとか、誰に出していないとか意識せずにそのまま片付けていた。

 

そんな中、今日1通のハガキが届いた。両面とも印刷のハガキ。どこかの会社からかなと思ったが内容を見て腰が抜けるほど驚いた。

 

ハガキは1984年から1985年に掛けて派遣されていた研修機関の同期生(Hさん)の奥様から。ハガキにはそのHさんが昨年5月に亡くなっていたことと連絡が遅くなったことへのお詫びが綴られていた。享年62歳。私より1歳年長なだけ。死因は書かれていない。

 

Hさんは某都市銀行勤務。外部機関に研修派遣される位だから将来を嘱望されたエリートだったに違いない。でも、Hさんはそんなことなど微塵も感じさせないおおらかで優しい性格。何事につけせっかちでいらちの私とは好一対。だからこそ50人ほど居た同期生でもHさんとは休暇期間中に一緒に中国旅行に行くなど特に親しくしていた。勿論、結婚式にも出席して頂いている。

 

卒業後しばらくは大阪住まいだったので年に1,2回会う機会があったが程なく名古屋に転勤され、それからは專ら年賀状で近況を連絡するだけの間柄になっていた。

 

そんなHさん宛の年賀状に私は去年産まれた孫の写真を載せた。私のことだから悪ふざけの冗句(ジョーク)のひとつふたつや孫へのおのろけなども書いたかも知れない。

 

Hさんに孫が居たか知らない。いや、お子さんが結婚しているかすら知らない。しかし私の年賀状を見た奥さんはどう感じただろう。「夫が生きていたら…」と胸を掻きむしられる思いがしたのではあるまいか。

 

勿論、私は何の悪気も持っていない。喪中の連絡さえ貰えていれば、とも思う。でも、奥さんの立場に立てばそれどころではなかったのだろう。私だって急に妻が亡くなったら、喪中の連絡まで神経が廻るか、自信はない。

 

父親のように私もきっちり年賀状の整理をしていればHさんからの賀状が来ていないことに気付いていただろう。気付いたからと言ってどうすることも出来ないが、少なくとも多少はショックを和らげることが出来たと思う。

 

新しい年が始まってまだ間もないが、死というものが他人事とは言えない年齢に差し掛かっていること、「その時」に備えて家族にも連絡先を伝えておくことの大切さをHさんは教えてくれた。

 

謹んで哀悼の誠を捧げたい。