阪神大震災

あの日から26年。当時私は滋賀県甲西町(現湖南市)の一戸建ての借り上げ社宅に住んでいた。

 

ご存知のように地震発生は5時46分。私は布団の中にはいたが既に目は覚ましていた。突如大きな揺れに襲われ、横の妻に声を掛けた。この頃はまだ一緒に寝てくれていたのだ。「今の地震、結構大きかったな。」

 

そこに2度目のさっきより大きな横揺れが来た。妻は寝ていたみたいだがこの2回目の揺れで目を覚まし「えっ、何!」と叫んだ。

 

大きいとは言え、何か被害が出ているようなレベルではないことは分かったので、特に慌てることはなかった。布団から出て、2階に寝ている娘2人に声を掛けた。「大丈夫やったか?」、目を擦りながら長女「大丈夫やで。大きかったなあ。」妻に似て冷静な女である。

 

会社は8時始まりで7時過ぎには出ていたので、いつもに起きている時刻になっていた。テレビを点け、和歌山市の実家に電話した。同程度の揺れだったらしく、被害は出ていない。ほどなくテレビに速報が出た。詳しい文章は覚えていないが、後の東日本大震災と同じく最初は「近畿地方で大きな地震があった模様」と言った大まかな内容だったように思う。

 

会社に着くと私より先に着いていた何人かが飛び出していたロッカーの引き出しの収納を行っていた。倒れるまではいかなかったが衝撃でいくつかの引き出しが飛び出していたらしい。始業前、つい先日大阪の事業所に転勤になった人がやって来た。なんでもJRが止まっているので来たらしい。私は自動車通勤だったので気付かなかった。だからと言って来なくていいのに。私なら絶対家に帰る。

 

事態の深刻さを知ったのはその日の昼休み。会議室に1台だけ怖ろしく映りの悪い白黒テレビがあり、社員食堂から戻るとその貧しい画面が信じられない光景を映していた。・・・ここから先は皆も知っている通りなので繰り返さない。

 

16年後に東日本大震災という更に規模の大きな震災に見舞われ、やや影の薄くなった(こんな表現適当か)感のある阪神大震災だが、東日本大震災はあれだけの広範囲の地域で犠牲になった方、約16千人。阪神大震災はほぼ神戸周辺のみで犠牲者6千4百人。如何に一点に被害が集中したか分かる。

 

早速松下全社で応援体制が組まれ、各職場に割り当てが廻ってきた。私は幸か不幸かあみだくじの選に洩れ、行く機会はなかったが行った人に話を聞くと大阪からたった30分電車に乗るだけで正に「天国と地獄」。何の被害もなく賑わう大阪と崩れ落ちた建物が並び立つ神戸…。

 

東日本の様に津波でいっぺんに流されるのではなく、焼死が多かったことも悲惨さを倍加させた。ある記事で読んだのだが最初は「助けてー!」と必死で叫ぶ声が聞こえて来るのだが火の勢いが強くてどうすることも出来ない。するとその内「もうこれ以上居たら貴方らが危ないから逃げて。今まで有難う。」という声が聴こえてそれきりだったという。私はこれ以上胸の潰れる思いのするニュースを聞いたことがない。

 

たまたま職場に実家が神戸の方が居て、家本体は無事だったが倒れた食器棚や割れたガラスで足の踏み場がなかったという。それから枕元に靴を置いて寝ることを習慣にしていると言っていた。私達もしばらく真似していたが、ここ長い間やっていない。また復活せねば。