禍福は糾える縄の如し

桂文枝さんが1月末に妻、母親を相次いで亡くしていたことが分かった。

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我々の世代には桂三枝さんの方が馴染み深い。大体のことはウィキペディア他でも載っていると思うがデビュー当時から知っている者としてとして何かネタはないか探していると、どこにも載っていない事柄がひとつあった。結婚の日取りのこと。三枝さんは名前通り3月4日に挙式を挙げたかつたのだが、生憎その日が仏滅で周囲から「いくら何でも仏滅はやめとき。」と言われ1日ずらした。当時のインタビューで見たことを確かに覚えている。

 

私が三枝さんを初めて知ったのは毎日放送の「ヤングオーオー」という番組。50年近く前になるだろうか。第一印象はとにかく細いということ。今は巷でもファッションモデル並みに細い人を男女問わず見かけるが、当時ここまで細い人は珍しかった。確かイジられるネタにもなっていたのではないか。

 

何年か前、吉本芸人の闇営業問題が出た時、社長が「さんまと松本以外はおらんでもエエんや。」と豪語したらしいが当時で言えば「仁鶴と三枝とやすきよ」が当てはまる。後のさんまさんもそうだが、この3人(組)は小学生の眼にも特別扱いされていることが明白に分かった。

 

特に三枝さんは当時では珍しい大学卒という出自の良さとルックスで見るからにエリート、黄色い声援が跳んだ最初の落語家だと思う。

 

そんな三枝さんが相次いで奥さんと母親を喪った。母親は充分長命だし、奥さんも若過ぎるという歳でもない。でも、2人ほぼ同時というのは相当精神的に応えるだろう。

 

「禍福は糾える縄の如し」、失礼かも知れないがこんな話を聞くとどうしてもこの言葉を思い浮かべてしまう。