どうしようもない性

子供の頃は「1日は短く1年は長い」が歳を取るにつれ「1日は長く1年は短い」に変わるという。確かにそんな風に感じていた時期もあった。だが今は1日が短い。本当に短い。明日こそあれをしよう、これをしようと思いながら何も出来ないまま今日も過ぎようとしている。こうして何事も為さぬまま日々が過ぎて行く。考えてみれば最悪のパターンではないか。でも毎日の時代劇3本は止められない。

 

話は大学4年の就職活動期に遡る。某社の説明会で参加者全員が自己紹介を求められた。「学校名と名前」と言うことだったので皆「XX大学の○です。」とだけ言ってちょこんと頭を下げるのみだったが何人目かの者が「XX大学の○でございます。本日はお招き頂き有難うございます。」と言って会社の担当者に向かって深々とお辞儀をした。確か慶応大学の奴だったと記憶する。

 

この時「しまった。こんな風に挨拶するのか。やっぱり坊っちゃん大学は違う。」という焦りと「クッサイ芝居するなあ。」という嘲笑が皆の頭をよぎったと思う。私はこの学生の後だったが真似はしなかった。と言うか出来なかった。

 

私が恵まれた会社員生活をスタートしたのに何故伸び悩んだか、その、ヒントのひとつがここにあると思う。ある時の上司との面談でこんなことを言われたことがある。何回か登場した結婚式に来てもらった方とは別の人。

 

「君、何でわざわざ自分の価値を落とすような言動をするのかなあ。損してるで。」痛い所を衝いてくれた上司に私は今でも感謝している。

 

自分で自分の価値を落とすとはどういうことか、分かりやすく説明すると、例えば何かのコンクールで私が受賞したとする。「お陰様で。」とか「運が良かっただけです。」とか言っておけば何の問題もないのに「今年はレベルが低かったのではないですか。」などと言ってしまうのだ。ひょっとしたら受賞出来なかった人が近くにいて聞いているかも知れないのに。

 

最近もこんなことがあった。ある人が私は歩くのが速いと言ってくれた。この歳になると歩く速さも立派な健康指標。確かに身体が弱ってくると例外なく歩くのが遅くなる。歩くのが速いとは健康ですね、に等しい。素直に礼を言っておけばいいものを私の口から出たのは「歩くのが速い代わりに走るのは遅いで。」…

 

この性どうにかならないものか。子供3人が似なかったのがせめてもの救いだ。