今日はJR福知山線事故の発生した日。この事故で重傷を負った人のドキュメンタリーを見たが今でも足が痛み、歩くのも思うに任せない。この人が一番辛かったのは「助かって良かったね」という言葉だったらしい。死んだ方がどれほど楽だったか…。100人を越える犠牲者にばかりに目が向くが、こんな人も居るということを忘れてはならない。
鉄道事故といえばこの事故も忘れられない。というか私にとっては福知山線事故以上に。
ここの説明にもあるが当時信楽陶芸博が開かれており、連日大勢の観客で賑わっていた。平日の昼間。突然、会社に館内放送が鳴り渡った。
「只今滋賀県警より連絡があり、信楽鉄道で事故が発生した模様です。ご家族や知り合いの方で心当たりのある方は至急連絡して下さい。」
幸い、私の知り合いで巻き込まれた人はいなかった。
事故後ある人から聞いたのだがしばらくの間この近辺の病院は無償だったらしい。一言窓口で「事故電車に乗っていた」と言うだけで。勿論、乗っていたことの証明など不要だった。足腰痛だけでなく頭痛やめまいも事故の影響と言えないこともない。JRが近辺の病院に「事故電車に乗っていた人の治療費は全額出す」と約束していたのたろう。あまり信じたくない話だが無償治療最終日には大勢の患者(?)で病院は軒並み満員だったと言う。
コロナで病院が逼迫し、他の病気の治療や手術が後回しになっているらしい。難しいところだ。生命に軽重がないのは当然だが感染病治療を優先しなければならない事情も分かる。
但しこれだけはハッキリ言える。被害に合うのなら大事故の方が優先されるという事だ。地震のような天災でも事故や事件でも被害規模や被害者が多い程、国や保険の優遇措置を受けやすい。例えば地震で家が全壊しても被害に合ったのか10件か1万件かでは全く扱いは変わってくる。自分の家が崩壊したという事実は何ひとつ違わないのにだ。
チャップリンの映画「殺人狂時代」のセリフ「ひとり殺せば犯罪者だが1万人殺せば英雄だ」を持ち出すのは適当ではないかも知れない。しかし後段のセリフ「数がすべてを正当化する」はその通りだと思う。