見え過ぎるのも良し悪し

以前大阪日本橋の中古店で買ったCDが不良(音飛び)だった。電話すると次に来る時で構わないので商品とレシートを持って来て欲しいとのこと。

 

1、2ヶ月後店を再訪した。念の為と音飛びした箇所を掛けると問題なく再生出来るではないか。家では何回やっても駄目だったのに。少し焦った。クレーマーと思われる。

 

幸いすぐ隣が馴染みのオーディオ店だったので一旦CDを持ち出して掛けてもらうとやはり音飛びする。事情を話すと「それはプレーヤーが良い証拠です。人間の眼でも視力が良いほど細かいキズや汚れが見える。それと同じです。」さすが餅は餅屋。明快な回答だった。因みに私のプレーヤーは15万円。

 

店に戻り無事返金してもらった。こんな事を思い出したのも昨日買ったCDにも同じ症状が出たからだ。前はたまたま日本橋というオーディオにも理解ある土地柄だったので店の方にも分かってもらえたが、今度はどのように説明しようか。中古なんか買うなというご意見もあろうが、こんな現象本当に稀にしか起こらない。何百枚に1枚あるかどうか。

 

しかし「この視力が良いから小さなキズまで見えてしまう」の例え、単なる眼ではなく「心の眼」と捉えればなかなかに含蓄深い。

 

相手の言葉や所作が必要以上に気になったり、反対に自分のした行為が正しかったのだろうかといつまでも思い悩んだり…。

 

何を隠そうこの私、実際の視力もだが「心の視力」も良過ぎて困る事しばしばある。ただ見えるだけで実際の行動に殆ど結び付いていないので偉そうなことは何も言えない。

 

いや、見えたことを行動に移すべきなのか、その判断すら難しいのが本当のところだ。

 

この事に付いては折りを見てまた触れたい。