鳴門市で火災焼け跡から女性の遺体
よく聞くニュースではある。タイトルを聞く(見る)だけで私はこう思い込む。
「どうせ70か80のオジン(オバン)やろ。」
処がごくたまに、この事故のように被害者が自分より年少の場合がある。そしてただただ愕然とする。
このニュースを20,30歳の人が聞いたらどう思うのだろう。
「どうせ50か60の年寄りやろ。」
要らぬ負けん気が出てつい50の人間を巻き込んでしまった。許せ。
そうなのだ。今更ながらだが自分もいつこんな事故に巻き込まれるかも知れないのだ。そんな年齢になったのだ。
勿論、この事故の犠牲者が身体に障害のある方だったのかも知れない。それはそれでお気の毒だが、語弊があるかも知れないが老化も立派な(?)障害だ。
思わぬ眼病で眼帯生活3日目だが、何かと不便、不都合が多い。正面だけなら問題ないが片側の視覚情報が入って来ないのは思いの外怖ろしく、車はおろか自転車も乗ることを控えている。いや、今日は歩いて道を横切ろうして不意に後ろからやって来た車に肝を冷やした。見えなかったのだ。小学生の頃はめばちこ(あくまでめばちこで通す)になって眼帯をしても怖かった思い出はないのだが。
徐々に、なので普段あまり気付いていないがあらゆる器官が衰えているのだろう。
あーいやだ。いやだ。