あー嫌だ

最近「老人」という言葉をあまり聞かない。その代わり使われるようになったのが「高齢者」という言葉だ。老人という言葉に何が差別的な意味合いでもあるのだろうか。言葉狩りではあるまいな。私もあと3年もすれば前期高齢者の仲間入りだが老人と呼ばれるのと高齢者と呼ばれること、どちらが嫌か。どちらも嫌に決まっている。

 

最近老人ホームで働いている人の書いた本を読んだ。老人ホームって使ってもいいのか?どうでもいいや。

 

その本で著者は読者にある究極の選択を迫る。ホテル住まい、洗濯や掃除はしてもらえる。病院もある、食事は専属のシェフがを作ってくれる。スマホもパソコンも使える。友人や親戚と会うのも自由。ただ外に出ることは許されない。こんな生活と何かと面倒で不便なことも多いが普通の日常生活、どちらを選ぶか。

 

究極の選択、と書いたが殆どの人にとって究極でも何でもあるまい。普通の生活がいいに決まっている。と、感じるのは我々がまだ不自由なく自分の身の回りの事を出来るから。身体が弱り、身の回りの事が出来なくなったら否応なく他人の世話になるしかない。子供や孫の手を煩わせるのは気が引ける。なればこそ老人施設にはあれ程の数の老人が押し寄せ、人気のある所は何年待ちというのは広く知られている事実。

 

先程、ホテルでの生活の例を出したがこれと老人ホーム、そっくりではないか。老人ホームも個人や入居者だけでの外出の自由はない。それに加えて多くの施設ではコロナ禍で人との面会もままならない。

 

他者の世話にならず自分で自分のことを出来る年齢を健康寿命と言い、統計によると男が72歳、女が74歳とのこと。私の身の回りではそんなに早く弱った人は居ないように思うが、統計はあくまで平均なのでもっと早く弱ってしまう人もいるのだろう。

 

もし、私が平均通りに健康寿命を迎えるのなら自由に動き回れるのもあと10年。その頃、上記の選択を迫られたらホテル住まいを選ぶのだろうか。

 

あー嫌だ。