公正平等は難しい

就職試験のため、今夏息子が20日ほど滞在した。大学入学以来最長。私と違い息子はスポーツが得意で野球部、卓球部で主将を務めていたらしい。時期的にオリンピックやナイターを一緒に見る機会があったが卓球でも野球でも息子の言う事とテレビの解説者が言う事がほぼそっくりそのままなことが多いことに驚いた。ゲームの先行きも、

「次どんな展開になると思う?」

「こんな球が来て、こう打ち返す。そしたら云々。」

「そこまで先が読めるのなら見なくてもいいやろ。」

と、言いたくなるほど見事に当てて見せた。これらのスポーツもプロレスのようにシナリオライターでも居るのか?

 

昨日の高校野球の決勝前、息子に予想を聞いた。返答は

「今日(準決勝)みたいに気持ちよく先取点が取れたら勝つ。」

「四番の復調がカギを握る。」

 

・・・実際その通りになった。就職などせずに予想屋になることを勧めよう。

 

 

トルストイの言葉だったと思うが「幸福な家庭はみな一様だが、不幸な家庭はそれぞれの事情を抱えている。」というのがある。

 

パラリンピックを見ていて前から疑問なのは同じ「○障害の部」と言ってもトルストイの言葉と同じくその程度はそれぞれ違うと思うがどうやって公平性を担保しているのだろうかということだ。「障害を不幸と決めつけるな?」。では聞くが好き好んで障害を負った人などいるのか。偽善者は黙っていろ。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/07f6576680422cacb8eca6d94ebd258bfe8bf6dd

これも厄介な問題だ。確か、リオの大会ではオリンピックよりパラリンピックの記録の方が上回ったのではないか。いっそのことシューズにジェットエンジンを付けて100メートル3秒とか目指す?チーターか。

 

いや、茶化している訳ではない。100年前のシューズと今のシューズを比べるとそれこそエンジンが付いたくらい進化しているだろう。スポーツ用品メーカーは如何に記録を伸ばすための製品を考えるのが仕事。だが中には高速水着のようにオリンピックでも使用禁止になったものがある。東大に入る家庭は高所得であるように裕福な国の選手ほど有利なことは間違いない。いっそのことIOCがすべての国に同じ用具を使うよう義務付けてはどうか。

 

パラリンピックは勝ち負けではない、持てる力を出し尽くすことが大事なのだなどと綺麗事を言うマスコミは多いが、それならその同じマスコミがやれ勝っただの、メダルだのと騒ぐのは矛盾ではないのか。

 

素直な心で考え直してもらいたい。