オークワ屋形店

和歌山発祥のスーパーとしては最大手のオークワ、その屋形店が明日で50数年の歴史の幕を閉じる。迂闊なことに今朝のチラシを見るまで知らなかった。

 

正直オークワではあまり買い物はしない。それは今も昔も変わらない。だから閉店したからといって日常の生活に困ることは何もない。

 

私にとってオークワ屋形店の1番の思い出は和歌山ではいち早く外が見えるエレベーターを設置したことだ。私が小学生の頃だ。エレベーターそのものが珍しかったと言えばさすがに嘘になるが、エレベーターから見る外の光景、道や車をあっと言う間に眼下に見下ろす、あのスリルと快感はずっと後年初めて飛行機に乗って大空高く飛翔していくスリルに勝るとも劣らないものがあった。

 

百貨店のエレベーターには専属のいわゆるエレベーターガールが居る時代だったがオークワのそれは自由に乗れたので私達は何回も上がったり下がったりして遊んだ。それでも店員さんから注意された覚えはない。我々も最低限のマナーは守っていたのだろうし、店も子供に寛容だった。

 

商店だけではない、自宅近くの慰霊碑のある公園は子供たち格好の遊び場でよく隠れんぼや銀玉鉄砲で撃ち合いをして遊んだ。前にも書いたが和歌山城のお堀には毎日のように釣りに行った。今、公園はチェーンが張られ完全にシャットアウトになっているし、お城も入るのは自由だか釣りなと出来る雰囲気ではない。

 

理由を聞けば危ないからと言うだろう。慰霊碑から滑り落ちれば大怪我するかも知れないし、もしお堀に落ちたら生命に関わる。

 

和歌山全体がそうだが、私の住んでいる昔からの中心区域は特に人口の減少が著しく、小学校の生徒数ひとつとっても私達の通っていた頃の1/3以下になっている。普通に考えれば今の子供の方が一人当たりの遊び場ははるかに恵まれている筈だ。なのに、現実はそうなっていない。第一、外で遊んでいる子供の姿を滅多に見ない。銀玉鉄砲なんて今でも売っているのだろうか。

 

毎日夕方5時になると和歌山由来の童謡「毬と殿様」が市内全域に流れる。子供の頃、このメロディを聞くとそろそろ帰宅、という合図になっていた。今この音楽は誰の、何の為に流しているのだろう。子供達はスマホで時刻は分かるだろうし。

 

何かと考えさせられることの多いオークワ閉店である。