これで済んでくれたら②

昨日の断水で妻の勤務先が休校になったので大阪に住むふたりの娘に会いに行った。

 

長女は去年、全館空調の新居を建てて住んでいる。どんな暑い時も寒い時も玄関を一歩くぐれば快適な空間。次女も来年の新居建設に向け毎週のように住宅会社とやり取りしている。婚約〜結婚の期間にも似た忙しくも一番胸躍る日々を過ごしている。

 

ふたりとも良き配偶者に恵まれた。子宝にも恵まれた。昔習った日本史の藤原道長の句を借りれば「欠けたることもなしと思えば」の心境だろう。

 

これは私だけの考えかも知れないが、人生の中でそう良い事ばかりも続かないし、悪い事ばかりも続かない。だから願わくば小さなトラブルをいくつか経験することで大きな災厄から逃れられればそれに勝るものはないと考えている。正直、私達夫婦にも幾つもの波風はあった。あったればこそ今の平穏無事な日常が送れているのだと信じている。

 

この度の断水、短くても数日続くという。確かに大変だ。その間のご苦労は察してあまりある。しかし、この苦難を与えられたことによりもっと大きな災厄から逃れられたら、例えば今断水している地域は中央構造線という世界でも指折りの活断層が真下を通っているが、地震の発生が回避出来だとすれば断水の苦労など物の数ではないだろう。

 

寝ぼけたことを言うな、というお叱りの声もあるだろう。しかし一病息災という言葉もあるように昔から日本人は何もかもは思い通りにはならない考えをむしろ美徳としてきた。松下幸之助氏も自分が成功出来たのは、病弱で他人に仕事を任さざるを得なかったからで、もし頑健で何もかも自身でやっていたらきっと失敗していたとおっしゃっている。

 

我が子供達にも自分から苦難を背負い込めと言うつもりはない。しかし、もし、日常の生活の中でちょっとした、回復不能ではない程度のトラブル、病や怪我に見舞われてもそれはより大きな災厄を避けられる為に天が与えて下さった試練だと捉え、明るく耐え過ごして欲しいのである。