松下電器と高野山

滋賀県には20年以上住んでいたが比叡山には1回しか行かなかった。あくまで個人的な感想だがイマイチ(関西弁でもひとつ)魅力を感じなかったのだと思う。

 

但し深く印象に残っていることが1つだけある。建物の名前は忘れたがあるお堂の壁面一杯に「比叡山で修行した僧侶」の絵パネルが掲示されており、それを見ると法然親鸞栄西道元・・・凡そ教科書で習う顔ぶれが全員と言っていい程網羅されていた。

 

昨日、帰省中の息子と高野山に行った。息子は小さい頃1回行った筈だが記憶はないと言う。私は2年ぶり位。回数は10回ではきかない。車で2時間位で行けるとは言え、やはり魅力を感じているのだろう。

 

宗教や歴史に殆ど興味のない息子は歩くことがメインの目的だったので大門の駐車場に停めて、奥の院までの往復およそ2万歩。どちらにとっても有意義な1日であったと思う。

 

息子が何を感じたのかは知らない、関心があればまた来るだろう。

 

さて、話は冒頭に戻って比叡山では数多くの僧侶が修行、学習しその後の日本仏教の大きな礎となる色々な宗派を開いたことは既に触れた。では高野山は?誰か有名な僧侶が高野山で修行して新しい宗派を開いた人は居るのだろうか。不勉強で恐縮だが私は知らない。

 

これらの事についての私なりの考えを新入社員の頃に論文で書いたことがある。タイトルは「松下電器高野山」。詳細な内容は忘れたが「高野山を開いた空海はその人自身が偉大過ぎて後継者も他所で活躍する人も生み出さなかった。松下幸之助を祖に戴く松下電器も似たような危機があるのではないか。」というような内容だったと思う。新入社員が生意気な事を書いたものだ。

 

そして今になって思うのだが特に一流企大学出でもなく、スポーツが出来たり、何か特技のある訳でもない私のような者が何故超エリートと言ってもよい研修生に選ばれたのか、上記の論文が何処かで評価されていたのだろうか。

 

当時の谷井昭雄社長の趣味が古寺探訪だったことは覚えている。

 

今となっては知る由もないがひょっとすると私の論文を読んでくれていたのだろうか。