光陰矢の如し

朝から雨。久し振りにCDを聴く。シューベルトの鱒とモーツァルトクラリネット五重奏曲の組み合わせ。うつらうつらしかかっていた処に2曲目のモーツァルトで急に鮮やかな音になったなのでびっくり。録音年を見るとシューベルトが1958年、モーツァルトが1980年。20年でこれだけ音の鮮度が変わるものか。第一1980年なんてつい最近、ではない。40年も前か。嘆息。

 

クラシックを聞き始めた1970年代、新譜のレコードは1枚2500円前後した。今の様に通販もなく、輸入盤も簡単に手に入らない時代、貧乏学生(けして貧乏ではないが言葉のアヤで)の私は月2枚の廉価盤(1000〜1500円)を買うのが精一杯かつ何よりの楽しみで、それらの大半は一昔前の1950〜60年代の録音。

 

従って1970年代の録音と聞くだけで「うわっ!新しい。」と思ってしまうのが悲しい性になってしまっている。

 

時代は変わりレコードからCDへ。大量生産が簡単からか知らないがおそろしく値段が下がった。BOXものなら1枚当たり100円以下という物も珍しくない。新譜の値段も相対的にはうんと下がっていることだろう。

 

でも今でも私は最近の演奏のものは滅多に買わない、何故なら・・・。

 

 

おっと、違った。今日書きたいのはそんな事ではない。何日か前に書いた離婚の危機にあるという甥夫婦、明日我が家に来ると言うので姉にその後動きはないか聞いた。姉の返事は「子供が大きくなるまでは今のままで行く。」ことを決めたようだとのこと。

 

なにはともあれ良かった。万一甥なり、甥夫婦から相談されたら私はこう答えようと決めていた。

「夫婦なんて何十年もすれば好きや嫌いを超えた空気や水みたいな存在になるんやで。何が気に入らんのか知らんけどお互い相手のことを同じ釜の飯を食う同居人くらいに思っていればええんちゃう?またその内相手のいいところが見えて来たらそれも良し。どうしても無理となってもせめて子供が成人するまで我慢せえよ。十年は長いように思うかも知らないが済んでみたらあっという間やで。」

 

現に私にとったら1970年が最近だ。