見苦しい老人にはなりたくない

今年は真珠湾攻撃80周年という事でいくつかの特集番組が放送され、多くの番組のテーマは何故圧倒的な国力の差があるアメリカとの開戦に踏み切ったのかという事であった。

 

私自身、高校生の時「風と共に去りぬ」を見て改めてその事を思い知った記憶がある。映画が作られたのは1939年、日本では既に日常物資にも事欠く時代になっていたと思う。その時代にこの大作映画である。勝てる訳がない。映画館の大画面、大音量で見たからその印象は尚強烈だった。

 

 

カラヤンといえばクラシック音楽に関心のない方も名前くらいは聞いたことがあると思う。ここのところ私は中古店でしかCDを買わないが店頭でカラヤンのCDが占める比率は圧倒的だ。それだけ売れたと同時にイマイチ演奏に物足らなくなってまた中古店に売りに来る人が多いのだろう。これは私の推測であり希望でもあるがクラシックファンに限ってコピーしてまで売ることを優先する人はいないと思う。私もかなりの数のCDをオークションや中古店で売却したがコピーするくらいならけして売ることはしてこなかった。

 

この辺りの事情は書籍と全く同じで良く売れたベストセラー本は必然中古本も多い。但し良く売れても内容が優れていて読んだ人が手放したくないと感じればそれ程売られることはないが内容がつまらなけれぼ必然大量に中古市場に廻って来ることになる。数年前どこの古書店に行っても某元首相の書いた「美しい国」という本が書棚を占拠していたのもカラヤンのCDと同じこんな事情が働いていたのだろう。

 

何よりカラヤンは録音に熱心だった。同じ作曲家の同じ曲をそれ程間を置くことなく5回、6回と繰り返し録音した。勿論売れる見込みがあるとレコード会社が判断したからだろうがそれらの多数が中古品となって市場に逆流しているの上に多くの愛好家は「カラヤンは古い録音のものほど演奏の出来が良い」と言っているのだから誠に皮肉なものだ。

 

この項続く。