見苦しい老人にはなりたくない②

私の両親は勿論戦中世代だがふたりとも田舎生まれだったので空襲で火の中を逃げ回った経験などはないようだ。食料も特に母親など農家だったので米や野菜と高級な肉を交換して欲しいという人が引きも切らず、却っていいものを食べていたとか。

 

今、農業は深刻な後継者不足に陥っている。近い内に訪れるかも知れない各種天災、食料危機になったら農家ほど強い者はいないと思うのだが。

 

 

晩年になればなるほど沢山の録音を為した指揮者はカラヤンだけではない。ここで名前を挙げても殆どの方は知らないだろうし、興味もないだろうが遺族に多くの財産(著作権料)を残したかったのだろうか。そんな考えがあったとしても何の不思議もない。

 

先日瀬戸内寂聴さんが99歳で亡くなった。瀬戸内さんは数少ない例外と思うが、最近目につくのがかなりの高齢になってからやたらと著書を刊行する人が多いことだ。いや、どれだけ多くてもその内容が新鮮で新しい示唆に富んだものであれば構わない。困るのは内容は殆ど変わらないのにタイトルだけ変えた書籍を粗製乱造する人が増えていることだ。特に女性に多いように思う。

 

彼女らの言い分、理屈は大抵ワンパターンだ。

「私らの若い頃は食べるだけで精一杯だったからそんな事に悩んでいる暇はなかった。」

「済んでしまったことを思い悩むのは時間の無駄。そんな暇があれば身体を動かしなさい。」

そりゃそうでしょうよ。こんな風に言われてしまったら一言の返す言葉もない。その前にこの世の中に悩みなんてものは存在しないだろう。

 

苦労すること、努力することは尊いことだとは思うがそれはけして他人にひけらかすものではないし、ましてやお前の悩みなど私の苦労に比べたら、などと言ってしまったらその人の価値も地に落ちる。

 

驚くのはこれらの粗製乱造された書籍の多くがベストセラーになり、レビューでも絶賛されていることだ。日本人は余程叱られ好きの人が多いらしい。

 

私ももうすぐ前期高齢者の仲間入りだがこんな「醜い老人」には絶対なりたくない。