豊かさの実感がない

今日の人生相談(読売新聞)ほど悲惨なものはちょっとない。相談者は60代女性。内容は息子が電車で痴漢冤罪事件に巻き込まれ多額の和解金を取られ、以来何もかもやる気をなくしている、というもの。妻子の為に一生懸命働くことを何よりの楽しみにしていた息子が、という母親の言葉が胸を突き刺す。偽痴漢事件をでっち上げた女は軽い小遣い稼ぎのつもりだったかも知れないが、精神的な殺人罪に近い。

 

 

今読んでいるクラシック音楽の本に私と同世代の著者が子供の頃兄と1000円ずつ出し合ってレコードを買いに行く話が出てくる。そう、LPレコードは40-50年前でも2000円以上、高いものだと3000円近くした。今CDの新譜はいくらするか知らないが当時の2000円である。今とは価値が違う。うちの近くに結構有名なラーメン店がある。今は一杯700円だが当時は200円位だったのではないか。

 

ここ何年も私は新品のCDを買ったことがない。通販か中古店のそれも1枚500円以下のものが大半だ。音楽と共に私が愛してやまないお酒も同じ。昔、酒と言えばビールか日本酒しかなかった。ビールも発泡酒や新ジャンルなんてものはなく、日本酒も紙パック入りの格安酒なんてなかった。その上今は焼酎やチューハイのように更に安くて手っ取り早く酔える酒がたくさん出ている。私はそれらの愛飲者だ。つまり、私の2大趣味に関する限り出費は大幅に減っている筈だ。

 

なのに、である。日頃の生活において余裕が増えた気が全くしないのである。他の出費が増えた?いや、消費性向で言えば昔よりむしろケチになっている。昔は多少高くても好きなものは迷わず買っていた。コーヒーはネスカフェゴールドブレンド。ビールもエビスばかり飲んでいた時期があった。処が今は味や好みは二の次三の次、とにかく価格本位で選んでいる。玉子1パックでも高ければ出直す程だ。昔はそんな事絶対しなかった。

 

収入が減っている?確かにいっとき前まではそうだった。でも2年前個人年金保険を受け取り始めてからはだいぶんましになつている。では2年前より余裕が出たか?そんな気は全くしない。その頃よりむしろ余裕が無くなっている感じすらある。例えば店頭で買うか買わないか迷ったCD、あるいは書籍。2年前なら恐らく買っていたものの決断が出来ず結局帰宅、なんて場合が増えている。これは私だけのことなのだろうか?そうでないとしたら一体何が原因なのだろうか。

 

上に挙げた書籍ではないが私も若い頃月2枚の廉価盤レコードを買うことが定期的な行事になっていた。金額にして3000円前後、今の物価で言えば10000円位に値しようか。今10000円の物を買うとなるとそれなりの心の準備、深呼吸が必要だがその頃はそれ程深刻な心持ちになる事もなく気軽に買っていたように思う。

 

戦後間もない頃に都会で苦労した人の自伝などを読むと「ポケットに1枚しかない100円玉を握りしめて80円のラーメンを食べに行った。」なんていう話がよく出てくる。今で言うと有り金が1000円しかないのに800円のラーメンを食べに行くようなものだ。今そんな事をする人が居るだろうか。なに?ペイペイで払う? 死ね。

 

そうやって考えるとあの頃の人々と今の我々の心の余裕の違いって一体何なんだろう。これは腰を据えてじっくり思索するに値するテーマだと思う。

 

こんなこと言いながら居酒屋で追加注文する時はお金のことなんか何も考えていない。だからグルメサイトなどで紹介されている平均料金の倍近くはいつも掛かっている。