クラシックのことをちょっと→改題

一昨日から年賀状の受付が始まった。それに先立って毎年何通かの喪中はがきを受け取るのだがそう言えばここ2、3年喪中はがきの枚数が少なくなってきたような気がする。今年は確か3通だった。知り合いのご不幸事が少なくて良かった、と一瞬思い掛けたがそうではない。我々世代の親があらかた亡くなったのだ。いよいよ次は自分達本人の世代か?もうすぐ正月だと言うのに縁起でもない事を想像してしまった。

 

 

チャップリンは1936年、機械文明を諷刺した「モダン・タイムス」を発表し次はラブストーリーの作品を撮る予定だった。処がその頃ヒトラーがヨーロッパで勢力を伸ばして来た。チャップリンは語っている。「あのおぞましい怪物が勢力を伸ばしつつある時代に呑気に愛の物語なんか作っている場合ではない。」かくしてあの名作「独裁者」が誕生することになった。

 

私も今日は元々クラシック音楽に関する小文を認めるつもりでいたのだがこんな忌まわしき大事件が起きてしまった。そんな呑気な文を書いている場合ではない。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6412823

 

私は元々一人の殺人も死刑にすべきという考えの持ち主だ。そうでなければ奪われた命との整合性が取れない。20人以上もの犠牲者を出したこの放火犯にはどんな刑を与えればいいのか。死刑以上の刑がない今の法規がもどかしい。良くない事とは分かりつつ「一族郎党」という言葉が頭をよぎる。

 

一方で私は被害の大きさで判断が変わることにも反対だ。同じ程度の災害でも人口の密集した地域と過疎地域では被害規模や被害に遭う人数には大きな開きがあるだろう。だからといって前者にだけ特例で何かが認められるなんて事があってはならないと考える。

 

しかし、である。この20数人という圧倒的な犠牲者の前にはただただ胸が痛むとしか言いようがない。放火されたのが「心のクリニック」だから、なんて余計な同情は却って失礼だ。この20数人、皆さんそれぞれの人生があるのである。来年こそはと希望に胸を膨らませていた人も居るだろう、逆に年明けからの職場復帰に一抹の不安を抱えている人も居ただろう、週末なので忘年会の予定の人も居ただろう。

 

そんな事より普通の日常生活、今晩の鍋料理が楽しみだ、あのドラマの続きはどうなるのだろう、来年甥っ子や姪っ子にはいくらお年玉を包もうか、年賀状早く書かなければ、等々。そんな楽しみや不安、喜びや怒り、何もかもが尊い20数人分の人生が一瞬にして奪われてしまったのだ。

 

そしてこの20数人の犠牲者には更にその何倍もの家族、友人が居る。彼ら彼女らも正月どころの気分には到底なれまい。

 

差別用語と分かりつつ敢えて書く。こんなキチガイ野郎をこの世から根絶する方法はないものか。