古い記憶なので正確かどうか自信はない。世界最初のカップ麺、日清カップヌードルは発売当時から100円くらいした。今と変わらない。その頃袋麺は1食20円くらいだったので今の感覚で言えば400-500円くらい。店で食べるとの変わらない。そう簡単に買って欲しいと言える値段ではなかった。
前にも書いたが子供の頃の「刷り込み」は強烈で、よく生活に困窮している人がここ何日カップラーメンしか食べていないなどというニュースを見るとつい「そんな贅沢なものを食べずにチキンラーメンを食えよ!」と思ってしまうのもその頃の値段の差の記憶が鮮明に残っているからだろう。
よくあさま山荘事件で警察が食べていたことや銀座の歩行者天国でモデルを使って歩き食いさせたことが人気が出た要因と言われるが果たしてそうだろうか。私はやはり、そんなことより相対的に値段が下がったことが大きいと思っている。
そのカップヌードル、商品表記のドの文字が他の文字よりひと回り小さい。理由はヌードルという言葉がヌード、つまり女性の裸を連想させるからとのこと。先日のクイズ脳ベルSHOWで知った。トリビアの項参照。
今日もまたひとつ賢くなった。末恐ろしい。
当時私は12歳だったがテレビから流れるヌードルという言葉にやはりドキッとした覚えがある。その上、当時の日本人の発音は今のようにヌードゥルではなく、はっきりヌードルと言っていたから尚更だった。
今回のオリンピックは女子選手の涙に接する機会が多い。
先日の高梨沙羅選手に続き、昨日は団体パシュート決勝で高木那奈選手が転倒、悔し涙が止まらなかった。どんな場面でも女性の涙を見るのは辛いものだ。(どの口が言う?)
一番悔やんでいるのは高木選手本人であり、ファンもチームメートも報道でも誰一人高木選手を非難する者などいない。それは日本では当たり前である。ところがお隣の国に行くと事情が違う。
前回の平昌オリンピックでこんな出来事があったことは記憶に新しい。
韓国女子パシュートの置き去り炎上騒動に世界から猛批判「わざと恥をかかせた」「病的」 - 海外の反応 ディミヌート (dimikai.com)
今回の北京オリンピックではこんなことも起こっている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakajimakei/20220208-00281184
自国選手の成績が振るわなかったらこの大バッシング。どちらもすぐお隣の国なのにこの違いは何なのか。
中国には「溺れた犬は棒で叩け」という言葉がある。一方日本は「窮鳥懐に入れば猟師もこれを撃たず」と言う。もちろん反対の言い方もあるだろうが少なくともスポーツで出ている国民性はこの言葉通りだ。
そんな日本人だがことピジネスとなると、途端に豹変、凶暴な性格を丸出しにする。
その地で長年親しまれてきた小規模店舗のすぐ近くに全国規模の大チェーン店が進出してきてあっという間に蹴散らしてしまうという光景を我々は嫌と言うほど見てきた。
しかもこれらのチェーン店、進出してきたのはあくまで利益だけが目的なのでその地への愛着など爪から先も持ち合わせていない。だから業績不振が続くと何のためらいもなく撤退、残されるのは買い物難民だけ。
かくして地方はより衰退していく。