「ゴミ屋さん」〜呼び方から考える差別問題

先程この本を読了した。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784866809212

この「XX日記」シリーズ、かれこれもう10冊くらい出ているだろうか。どれも例外なく面白い。今回のディズニーランド編も(個人的にはもう二度とDLにもUSJに行きたいとは思わないが)、大変興味深く読むことが出来た。

 

なかでも印象に残っているのは、ある日客席のゴミ箱の回収をしていると女性ゲストから「ごみ屋さん」と声を掛けられ、一日中モヤモヤした気分が抜けなかつたという著者の告白だ。

 

人種差別や部落差別は勿論いけないことだがある意味目に見えやすいし、人々の頭にもやってはいけない事として認識されている。いや、もっと広範囲に言えば容姿や身体に関わることでも言ってはいけないことは分かりやすい。「ちび」や「はげ」、まして「めくら」や「つんぼ」は絶対に駄目だと言うことは皆分かっている。

 

ではこの本の著者が「ごみ屋さん」と呼ばれて感じた心のモヤモヤの正体は何だろう。著者ははっきりと「清掃員を一段低く見ていた自身の心」と書いている。正直に本音を語れるこの人は偉いと思う。

 

だがこの問題の難しいのは例えばこの女性ゲストに「ゴミ屋さんなんて呼んでは駄目ですよ。」と言っても「何故ですか?ではなんと呼んだらいいのですか?」と聞かれると答えに窮することだ。「ゴミ屋さんは相手を下に見た言い方でしょう。」と言っても「私にはそんなつもりはありません。」と言われたらそれ以上返す言葉が見つからない。

 

作家の三島由紀夫が東京都の清掃局員に会った時の印象を「こういう人たちの前では実に弱い」と書いており、私もその気持ちは大いに分かるが「実に弱い」と感じる、その感性が既に差別心を孕んでいるのではないか。

 

AC(公共広告機構)のCMで難民の少女や病気の赤ちゃんを見ると自分自身は何も悪い事をしていないのに何となく申し訳なく思えてしまうあの感覚の出どころもこれに近いのかも知れない。

 

もう少し書きたいが後日。