自身の経験から差別問題を考える③

息子があと10日もしない内に教員として社会人デビューを迎える。教員の仕事が他の仕事と比べてどうか、それは分からないがひとつ言えるのは教員は最初からいきなり独立した一人前の働き手としてデビューしなければならないことだ。一般の会社であれば最初は研修や先輩の横について仕事を学ぶというステップがあるが教員にはそれがない。プレッシャーはあると思うが持ち前の明るさで乗り切って欲しい。

 

新入社員研修といえば松下電器ほど力を入れていた会社も他にあるまい。松下幸之助氏の言葉、「ものを作る前に人を作る」はあまりにも有名だ。

 

さすがに今はそこまでしてはいないと思うが、私が入った頃の松下電器は4月の入社から配属が決まる10月までなんと半年間も研修に費やしていた。如何に人材育成に力を入れていたかよく分かる。本当に有難いことだ。

 

私が入社したのは40年も前なので詳細なことは覚えていないが最初は会社の歴史や経営理念を学ぶ座学研修、次は実際に工場のラインに入っての製造研修。夏は実家に戻って地元のナショナル販売店で販売実習をするというのが夏季休暇までの流れだった。

 

販売実習を夏にしたのは販売店にとっての稼ぎ頭であるエアコンの設置をお手伝いする目的が大きく、技能はないが力だけはあり余っている20代前半の若者の使い道としては実に上手い戦略と言える。

 

私が入社した1982年は記録的な冷夏(もはや死語?)でエアコンの売り上げは芳しくなかったがそんな中でひとつの経験があった。基本的に力仕事、またお手伝いする作業によっては汚れることも多い仕事なので服は工員さんが着ているようないわゆるツナギ姿。ある日いつも通り販売店の軽トラの助手席に乗って着いた先がこれは、後で知ったのだが中学生時代の同級生の近くの家だった。