クラシックの意味

私は大変な遅読家で、このプログの間隔が時々空いてしまうのもそれによるところが多い。今、図書館から5冊借りているがその内3冊が他の人の予約が入っているので延長できない。貸出は2週間なので出来るだけその間に読んでしまいたいのだが、ビジネス書や趣味の本なら飛ばし読みも出来るが小説だとそうも行かない。かと言って読まずに返却するとまた何十人待ち。う〜ん。悩ましい。

 

 

https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/amp/202204070000304.html

藤子不二雄Aさんが亡くなった。88歳という歳を聞いた時、妻は「意外と若かったんやな。」88歳で若い?一瞬そう思ったがAさんの業績を見るとその言葉もあながち外れてはないのかも知れない。

 

「おばけのQ太郎」が発表されたのが1964年だというからその頃熱心に読んでいた人は既に70歳前後になっているだろう。孫世代もおふたりの作品に心奪われているに違いない。ということは藤子不二雄さんの作品は三世代に亘って読み継がれていることになる。一口に三世代と言うがこれは凄いことだ。私より上の世代の人が物心がついた時に既に第一線で活躍していた人がその孫の世代の読者にも読み継がれている。88歳を若いと思ってしまうのも無理はない。

 

今、私が返却期限までに読もうと焦っている小説。芥川賞直木賞本屋大賞、その他数多くの賞レースに勝ち抜いた作品でも三世代に亘って読まれているものはどれだけあるだろう。

 

これは私の想像だが10年前、20年前のベストセラー小説より、夏目漱石太宰治の作品の方が読者も多く、よく売れているのではないかと思う。

 

同様に一世代前の大ヒットマンガより藤子不二雄さん世代の何十年も前のマンガの方が愛好され、売り上げも大きいのではないか。

 

昔、クラシックという名を冠したカセットテープのコマーシャルにこんな謳い文句があった。「クラシックとは古典的という意味の他に最高のという意味もあります。」

 

藤子不二雄さんの作品の数々は正にクラシックなものとして今後も永遠に読み継がれていくだろう。

 

そうだ。もう、借りている小説を読むことを諦めよう。